「不幸の手紙」というチェーンメールが流行したことがあります。
それを受け取ると、7人に同じ内容を出さないとダメというものです。
それを怖がって、続けるならば、不幸の連鎖がおきます。
どなたかが止めたので、それが、出回らなくなりました。その勇気ある行動が不幸を激減させたのです。あるいは、単に、あほらしかったので相手にしなかったのかも知れません。
情報過多の時代に、その情報の内容を吟味せずに、垂れ流しにしていると、様々な被害者を生み出してしまう懸念があります。
特殊詐欺系や「お金送れ」という内容の要求は、度を越していると感じても、止まる気配がありません。
冒頭のフレーズは、幸福の便りについてです。
「便りが無いのは無事の知らせ」という言い回しもあります。
「大変だ」という内容の方が、ニュース性が高いように、手紙も同じような傾向を感じます。
手紙があってもなくても、親は子どもを想い、幸せを願うのが多数派なのだと信じたいです。
幸福の手紙とは、どの様な内容なのか気にはなりますよね。
あまり、自分が幸せだと、その内容を書き連ねると、よろしくないような心理的抵抗も、あるのかなと考えます。
「禍福はあざなえる縄のごとし」という言い回しがあります。
自分がこんな幸せではいけない、良いことがあると悪いことが起こりそうでコワいと言ったような、心理状態になる可能性もあります。
人生には、良いことも悪いことも半々でおきるとも限りません。
人によっては、ラッキー続きの人生かも知れません。
別のケースでは、悪いことの連続だというケースもあります。
しかし、その人が置かれた状況を、自分自身でどの様に捉えるかも、また、差があることです。
病気や経済的破綻などの渦中にいる人が、結構ポジティブだったり、ラッキー続きの人がビクビクしていたりするからです。
このように考えると、幸せの便りは、誰かから来るのを待つよりも、自分で感じる方が現実的かも知れないですね。