永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

丁寧な生活ができていないのは?

自分自身の生活を省みると、丁寧な暮らしにはほど遠いです。

毎日せかせかと、最低限のいのちを繋ぐ活動をしているイメージですね。

まあ、ゴミ屋敷で生活をしていないという安堵感はありますけれど…。

ただ、「男やもめにウジが湧き、女やもめに花が咲く」という言葉を思い出せば、生活に向かう姿勢で、その結果に大きな差が生まれるのだろうと推察できます。

最近は、男とか女とかの区分けは、御法度という背景もあります。

しかし、男性でも丁寧に暮らしている人もいるし、女性の中にもずぼらな人もいるという現実があります。

言い回しというものは、対比表現ですから、そのようになるだけだと理解する方が良さそうです。

さて、みそ汁の出汁をどのようにとっていますか?

水出しが基本という人と、出汁パックを煮出すという人と、顆粒だしを使うという人などに分かれると思います。それぞれのライフスタイルですから、他人から、とやかく言われる話ではないですね。

でも、お店のみそ汁の味が、顆粒だしの家庭の味と違うのは自明です。

自分が、理想とする丁寧な暮らしに、どのように近づくのか?という、アプローチを探る必要があります。

コーヒーは、生活必需品ではありません。

しかし、カフェインを注入しないと生きて居れない人も増殖中のようです。

もちろん、コーヒーをお店で買う人、コンビニでおトクに飲む人もいます。

根強いインスタント派もいれば、手軽なドリップコーヒー派もいます。

レギュラー派でも、実に奥深い分布があります。おトクな粉を買ってきてドリップをする人もいます。

お気に入りの店で、こだわりの焙煎豆を購入して、自分好みで、ミル引きして、ドリップにもこだわる人もいます。

そして、レギュラー派の最高峰は、自分でコーヒー生豆を自家焙煎して、楽しむというパターンです。

私は、コーヒーだけは、自家焙煎できる環境があります。

でも、同じ種類の豆でも、焙煎する度に味わいが変わるのですね。それに戸惑うことなく、それを楽しむようにしています。

日本人の味覚は、鋭敏な人が多いらしく、大手の量産品の味が、管理されている要因だと言われています。

本当に、奥深い話です。

あくまでも、楽しめる範囲で、追求していきたいものです。

何か、茶道や華道に通じる内容ですが、楽しむが生活に結びつく何かが見つかる人は、それだけでも、幸せかも知れませんね。