永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

学問は単なる技能ではない 橋本左内

『学問とは、人として踏み行うべき正しい筋道を修行することであって、技能に習熱するだけのものでは、決してない 橋本左内『啓発録』(講談社)』

そもそも、教育とは何か?

そのような問いが、各時代でなされています。

学校での義務教育をはじめ、その後の人生で、役に立つ技術を習得する専門性の高い内容を学ぶ学校まで存在します。

人生の正解があるとすれば、その「解」に向けて、テンプレートをなぞっていけば良いのでしょう。

しかし、結果的に、「自分の人生はこれで良かった」と思える人がどれ程いるかです。

恐らく、ごく少数派のように感じます。

世界を見回せば、ライフスタイルは様々です。

「原住民」と言われたら、どんなイメージが浮かぶでしょうか? 私の場合は、腰蓑を蒔いて、ヤリを手にマンモスを追いかけるようなイメージです。きっと、「はじめ人間ゴン」という昭和の漫画の影響でしょうね。

「原住民」とは、現地に住んでいる人という意味だけなのに、不思議なことだと考えています。

でも、世界的に、近代化が進んでいく流れができて、生活の様式も大きく様変わりしました。

その過程で、古い時代遅れなスタイルという考え方を植え込まれている可能性を感じます。

便利で衛生的な生活がなされることは、悪いことでは無く、良いことだと思います。

その生活の様式が変わることで、自然環境や生体がダメージを受けているとすれば、本末転倒ですけれどね。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えろ」という教訓があります。これは、技術支援の基本だと言われます。魚を買ってくれるお客さんではなく、魚を釣る漁師さんを育てるイメージですね。

今流に言うと、「弁当や惣菜を売るよりも、それをつくれるように教育しましょう」という事ですね。ライフスタイルの多様化によって、時短も大切なので、それぞれのスタイルを否定するつもりはありません。コストを抑えるのなら自炊に優位性があるということです。

冒頭のフレーズに話を戻すと、「技能に習熱する」が、ゴールではないという事ですね。

学問の基本は「人として踏み行うべき正しい筋道を修行すること」だと解かれています。

人生の基本姿勢として、どの様な局面でも大切だと感じます。

QOL」という表現があります。これは、「クオリティー・オブ・ライフ」の略で、今は、医療や介護で使われることが多いのかも知れません。

「人生の質」という意味です。お金と縁が無いと考える人は、お金があれば幸せだとイメージしがちです。でも、実際にはそんなことはないようです。お金は色々なコトを引き連れて来るようで、マネージメントができないと、それに振り回されるようです。

自分自身が居心地が良いと感じるところをつくれる能力が大切なのだと考えています。