永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

生き物と接するのは命がけ?

感染症拡大予防の観点でマスク社会となってきたのは、2020年でした。

ある大臣は、「マスクいつまでやるの?」なんて言っていました。

政府が、マスクや自粛を国民にお願いしているのにね。

その政府の一員である大臣の軽い発言には、違和感を感じた人も多いのではないでしょうか?


接触を気をつけるコトと言えば、3歳までに、虫歯菌を口の中に入れなければ、虫歯にならないとここ数年、よく耳にする様になりました。

ですから、甘噛みの口移しや同じ箸やスプーンなどで食べさせることがない様に配慮が必要になりました。

もちろん、幼児にブチュとキスをするのも、虫歯防止のために周囲の大人は我慢が必要です。

でも、3年間我慢すれば虫歯にならないとすると、それは、その子にとって一生の財産になりそうです。

果たして、どれだけの子どもが、この「一生虫歯ができない権」を獲得できるのでしょうか?

それが獲得できなければ、やがて、直接命に別状がない虫歯でさえ、歯の痛みを感じ、歯医者さんのエアードリルの音をイメージしながら、予約を躊躇して、不快感と痛みの狭間で揺れ動くのです。

たまに、「鳥インフルエンザが、人に感染した」とニュースが流れたりします。

性感染症が、すごいスピードで広まったりします。

これらの流れは、接触による感染ですから、我慢して気をつければ避けられることも多いはずです。

昔は、「野良猫には手を触れるな」などと警告する大人がいました。

それは、野生動物が、どのような細菌を運んでいるのか分からないからですね。

同様に、自分も何を中で育てて運んでいるのか分かりませんから、生き物との接触には、節度と配慮を心がけたいと考えています。

サバイバルする為の教え 箴言13:14

『知恵のある者のおしえはいのちの泉。これによって、死の罠から逃れることができる。(箴言13:14新改訳2017)』

肉体に宿って生かされている人間の致死率は100%というのが確定している肉体的生命のゴールです。

死亡の確認をできない人の話を聞きますが、これを回避した人はいないようですね。

また、肉体に宿っている魂は永遠の存在です。

人間の魂には、この世での天寿を全うした後に、永遠の旅路が待っているのです。

肉体に宿っている間の人生は、至るところに落とし穴が口を開けて待っています。

それは、失望や絶望など、希望を持てないようにする強烈なマイナスのエネルギーとなります。

希望を失望に変えることによって、魂を仮死状態にされると、生ける屍と形容されるような生気を失った状態になり、体調にも深刻な影響を与えます。

「いのちの泉」と記されている教えは、この失望状態から、希望へと立ち上がらせる事ができるのです。

そもそも、「どうして絶望するのか?」は、「このままの道を進むと、きっと大丈夫ではない」と免疫系の反応が、ストップをかけてしまうこともあるでしょうね。

人間は、受け継いだ遺伝子の末路を漠然と理解しているかのような、悲観シナリオを鮮明に描いてしまうことがあります。

それは、創造主である神に創造された最初の人間アダムが、致命的な判断をしたため、「罪の状態」に陥り、死への道筋が、受け継がれる遺伝子に初期設定されることになったのです。

その死は、肉体的生命の死だけではなくて、やがて、永遠の終わることが無い死を迎えるのです。

それに対する漠然とした不安が人間を支配し続けているのです。

不安の正体に気づくことが知恵者の最も大切なポイントであり、どうすれば、永遠の幸福(いのち)へ至る道に入ることができるかが、大きな分かれ目になります。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです(ヨハネ14:6新改訳2017)」

メシアであるイエス・キリストは、正義である自らのすべてを十字架にはりつけ、全人類の罪科を背負って、唯一無二の生け贄として、永遠のいのちを確実にしてくださいました。

これを信じ受け入れることこそ、最高の知恵を得ることになります。

この唯一の道が、死の罠から逃れる方法なのですね。

寒さ、温かさ、尊さ ホイットマン

『寒さにふるえたものほど大陽の温かさを感じる。人生の悩みをくぐったものほど生命の尊さを知る。 ホイットマン

「北風と大陽」の話を思い出すフレーズですね。

身にしみる寒さを感じさせる役割が北風で、穏やかな温かさで包み込むのが大陽の役割です。

体験や経験で得られた感覚は、鮮明に記憶に刻み込まれます。

寒さが刻み込まれた所に、入れ替わりで、大陽の温かさを体験すると、その有り難みを大きく感じます。

寒さや温かさは、人生の一面ですが、心の葛藤を伴う悩みを持つこともあります。

この経験をすればするほど、生きていること、それが、生かされていることだと感じ、その尊さを知り味わうことになると言うのですね。

一人一人は、似ている人生であっても、それぞれオリジナルの人生を生きています。

また、実感する尊さも、一人一人、異なる味わいがあるのですね。


このような手法を悪用する詐欺師もいますので、ご用心ですね。

また、警察の取り調べでも、悪役と良い役に別れて、供述を引き出すこともあります。

人間は、揺さぶられることに弱い部分があるようですね。

適正な免疫を保てるか?

いつの時代にも感染症が出てきます。

この地球という星は、生命を維持できる環境が整えられています。

その中で、様々な菌が菌活をしているという、バックグラウンドがあります。

科学誌などでも紹介される様になりましたから、そのような支えがあって、生命を維持できるという知見が広まっています。

人間の中でも、様々な生き物が活躍して、健康が支えられ維持されるように造られているようです。

健康を維持するために、自己免疫が大切です。

これを保つために、適度な睡眠、食事、運動が大切なのですね。

解熱剤について、使い方の工夫が必要ではないかと考えています。

最近は、38度で解熱剤適用になることが多いのです。

体温が1度上昇することによって、自己免疫力をかなり上げることができるので、その作用を途中で止めてしまうのはもったいないと、私は思います。

当人も看護する人間も辛いので、早い目に熱を下げると言うのは、感情としては理解できますが、理には適っていないと考えています。

極論の42度まで我慢した方が、最大限の免疫を発揮できるのかも知れません。

しかし、私の場合、せめて40度くらいまでは我慢して、免疫力を確保するというコンセンサスを持っておきたいと表現しております。

深部体温維持のために、お風呂ではオールシーズン湯船に浸かります。

お風呂タイムが、最高のリラックスタイムで、リカバリータイムでもありますから、これをベースに免疫力の維持と向上を心がけていきたいと考えています。

本当の唯一の犠牲とは? 1テモテ2:5

『神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。(1テモテ2:5-6新共同訳)』

メシア論のシンプルな説明です。

イエス・キリスト」と記される時には、「イエスはキリストであり、神の子である」との強調があります。

また、「キリスト・イエス」と記されている時には「神の御子」を強調されています。

つまり、創造主である神(三位一体)の第二位格であるのに、メシアとして世に来られた御方であることを信じることが、メシア論の核心です。

それは、人間の理解を超えた存在「人100%、神100%」なのです。

「人でなければ、罪の贖いとしての生贄として死ねない。神でなければ、人を救えない。」

というのが、論理的な帰結です。

メシアであるイエス・キリストが、肉体にやどり、人として成長しながらも、神としては永遠の昔からいたという両面を兼ね備えています。

エスの肉体の成長を聖書は記しています。

ある時には、「アブラハムが生まれる前から存在している。」と神性宣言をしたので、石打にあいそうになったことがありました。

それが真実なのですが、周囲を取り巻く、当時の支配層には、許しがたい「冒涜罪」との誹りをうけたのです。

また、ご自身は肉体の疲れを覚えながら、人を癒やしました。

旅の疲れで井戸の日陰で休憩したときもありましたが、「重荷を負っている人は来なさい。私が休ませてあげよう。」とも言っています。

自分自身は、空腹になりながら、「私は命のパン」だと言われました。

また、のどの乾きを覚えながら、魂の乾きを癒しました。

肉体霊的な乾きを十字架上で「私は乾く」と表現しながら、「誰でも乾いているなら、来て飲みなさい。いける水の川が流れ出る。」と言われました。

エスは、死の現実を前に涙を流され、「ラザロよ出てきなさい。」と死に打ち勝つチカラを見せ、「エリエリ・レマ・サバクタニ(どうして私を見捨てたのですか?)」と絶望の叫びを上げた十字架上で、悪人の一人に「あなたは私とともにパラダイスにいる」と言われました。

その御方こそ、「ユダヤ人弁護士イエス・キリスト」で、私の弁護人でもあります。

動画 羊の皮を被ったオオカミの様な


www.youtube.com

羊は頑固な一面もあると聞いたことがあります。

また、牧羊犬は羊よりも小さいサイズでも、羊は追われて誘導されるというのが一般的です。

しかし、羊の中にも猛者がいるのだと教えてくれるのが、この動画です。

なんと、牧羊犬と睨み合いをしている羊がいるのです。

羊飼いが、牧羊犬をけしかけても、羊のほうが堂々としているように見えてしまいますから不思議です。

もしかしたら、その正体は、羊の皮をかぶったオオカミさんなのかも知れませんね。

それとも、牧羊犬が初心者マークなのでしょうか?

なんとか、羊を群れの側に押しやりましたが、一苦労したイメージが溢れていますね。

生き物が対峙する時に、優位性を決定づけるものは何でしょうか?

私は、「確信と迫力」なのだろうと考えています。

単なる意地や突っ張り根性だけだと、迫力不足の結果に終わるのではないかとイメージしています。

対峙する時に、「どうして対立する必要があるのか?」を探る事ができれば、解決策は考えられますね。

でも、対立の図式が目的化していることもありますから、その場合、打つ手がありませんね。

お互いのニーズを考えながら、共存の道を探りたいと考えています。

嫌だけど一番よい教師 シェイクスピア

『頑固な人には、自ら招いた難儀が一番よい教師になるに決まっています。 シェイクスピア

自分の人生を、頑固一徹に自分らしく生きていくのもカッコイイですね。

でも、自分はそれほど頑固ではないとか思っていても、周囲からすると頑固認定されていたりします。

本当のところは、自分で思い当たるところがあれば、自己受容していけると幸せに近づけますね。

さて、慎重なタイプの人は、このフレーズのようにはならないのでしょうね。

慎重な人は、リスクを調査し、周囲の意見を参考にしながら、コトを進めて行く傾向があるからです。

一方、頑固な人のイメージは、自分の考えと意地で突き進み、気がついたら、前にも後ろにも身動きがとれなくなっていた、なんてこともありそうです。

そのような状況に至って、周囲の助けを求めるのか、助け船に乗るのかなど、様々な選択肢が出てきます。

どれを選択するにしろ、自分の情けなさを感じる所から、今までとは違う自分へと成長していくのですね。

「自ら招いた難儀」は、頑固な人でなくても、ほとんどの人が体験する状況だと思います。

大丈夫だろうと考えて進んでいたら、「為す術がないという駅」にたどり着くイメージです。

でも、そこが正に「人生の正念場」ですね。

その時に、苦しみもがくことが、「一番良い教師」とシェイクスピアが指摘しています。

座学も大切ですが、実践を通じての教訓こそ、身に付くというモノです。

痛みや辛さと共に、記憶と身体に刻み込まれますね。

頑固な人は、耳を貸さない人が多い傾向がありますから、声かけのタイミングをはかる必要があるのでしょうね。

本人が、本当に困ったと認識した時に、有効なサポートができます。

人生の中で、一人相撲をとるのも、空回りするのも、本人にとっては、貴重な体験なのですね。