永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

愛に包まれる実感 1ヨハネ4:9-10

『9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(1ヨハネ4:9-10新改訳2017)』

「愛」に包まれる記憶がある人は幸せです。

人間は誰でも、母の胎内で羊水に包まれていました。でも、この記憶がある人は極少数です。

胎動が出だす妊娠7ヶ月あたりから、胎児は音を認識するようになると言われて、その頃から胎教に取り組むケースが多いようです。

その結果は、様々なようですが、母親と胎児が良好な関係性を育むことで、後の関係性も良好になると言う期待もあります。

ただ、妊娠期間に家庭環境や母胎に関わるトラブルがあると、その後の人生にも影響があるとの指摘もあります。尊い命ですから、スクスクと成長して欲しいと願います。

さて、ヨハネ伝3章には、パリサイ派のラビでサンヘドリンの議員でもあったニコデモという人が出てきます。

彼は、イエスの所にコッソリ来て、質問をしました。

エスの活動を見て、「神が共にいる」と確信して訪ねて来たのです。イエス・キリストは【主】の第二位格ですから、共にいると言うよりも、「神そのもの」なので当然の大正解ですね。

ニコデモは、ユダヤ的に考えられた「生まれる(成長する)」段階を上り詰めた人でした。これについては、「ロゴスとラビ」に詳述されています。

彼には、イエスが示したその先が理解できなかったのです。

人間には、「肉体的な誕生」と「【主】の愛を受け入れて新生する機会」が与えられています。

つまり、「水によって生まれることは肉体的誕生」であり、「霊によって生まれることは、永遠の生命への誕生」を意味しています。

その箇所では、イエスご自身が「人の子(メシア)」であること、荒野に蛇が上げられたようにイエスも上げられること、「【主】の愛」のゆえに永遠の生命が与えられて、人に対する救いが与えられることなどが説明されました。

それでも、ニコデモは十字架によりイエス・キリストが十字架に架かるまでは、真意を理解できていたでしょうか?

十字架の後に、イエスの遺骸を引き取り埋葬したのは、アリマタヤのヨセフと、このニコデモです。

その時には、弟子たちも離散し、一部の女性のみがイエスのそばにいました。その中での総督ピラトへの直談判には、リスクが伴ったでしょう。

でも、それができたのは、「【主】の愛」の真意が理解できていたからなのでしょうね。

信仰者は、いつの時代も、この「【主】の愛」に包まれているのです。それを、より深く実感したいものです。

動画 飼い主が知らんふりをしてみると…


www.youtube.com

「飼い主をドーベルマンは許さなかった!」

というような見出しをつけられそうな動画です。

飼い主が、ワザと知らんふりをしていたら、存在感を示すように、正面から迫り、押し倒すのでした。

「私のこと、ほっとかないで!!!」と聞こえてきそうな勢いです。

日頃の関係性が透けて見えますね。

飼い主が座るソファの横に、ワンちゃん線用のソファがあるのですから、常に手の届く所で大事にされているようです。

このワンちゃんらしき肖像画もありますね。

体格が大きくても、さみしがり屋のワンちゃんなのかも知れませんね。

 

ドーベルマン-wiki
労働犬・警備犬として品種改良した犬種であるので、難しい訓練にも耐えられる非常に頭の良い犬である。軍用犬・警察犬・麻薬探知犬・番犬・盲導犬等として訓練され各分野で活躍している。飼い主に対しては非常に従順であり、強い忠誠心と忍耐力を持つが、家族以外の人間、他の犬に対しては警戒心が極めて強く、縄張り意識も高い為攻撃的になり易い側面を持つ。

飼育する場合は厳しい訓練や適切なコミュニケーション、十分な運動を行える生活環境が必須であり、初心者には向かない犬種と言える。

 

ja.wikipedia.org

希望という病 寺山修司

『人類が最後にかかる、一番重い病気は「希望」という病気である。 寺山修司

前衛的な作風で知られる寺山修司ですが、名言集も型破りです。

でも、フレーズはそれぞれに刺さってこそ印象に残るのであり、その理解に正解など無いのだろうと考えています。

そのフレーズを紡ぎ出した作者が意図したことはあっても、リリースされた刹那から、いのちを持った生命体のように、一人歩きをするようになるのですからね。

さて、「希望」についてです。

以前、どこかで述べた記憶があるのですが、希望の「希」は、希硫酸などに使われるように、「濃度がうすい」という意味があります。もちろん、「マレ(めったにない)」という意味のあります。

合わせて考えると、「望みがうすい」となりますので、過大に期待すると、目の前に表れる現実とのギャップにショックを受けることになりかねません。

また、自分の理想や願望を「夢」という表現をするケースもあります。

これもまた「夢か」「幻か」と言われるほど、現実との乖離をイメージせざるを得ないニュアンスもあります。

寺山修司は、闇雲に「希望」を持つことへの警鐘として、このような表現をしたのだろうと考えています。

ネガティブぎみに捉えると、このような話になります。

しかし、「希望」や「夢」は持ち続けるのがステキな明日のために大切な要素でもあります。

人生は、花も咲き、花も散る時があるのですから、それぞれに合わせた「希望」や「期待」、「楽しみ」を適度に持つことが、より良い人生のためには必要なのかも知れませんね。

 

ポケットに名言を 角川書店
Tシャツでも着るように、名言をもっと気楽に自分のものにしよう!
世に名言・格言集の類は数多いけれど、これほど型破りな名言集はきっとない。歌謡曲から映画の名セリフ。思い出に過ぎない言葉が、ときに世界と釣り合うことさえあることを示す型破りな箴言集。

「ポケットに名言を」 寺山 修司[角川文庫] - KADOKAWA

寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。

寺山修司 - Wikipedia

 

呪縛を振り払う発想 縄抜けの術

「呪縛」は、goo辞典によると「まじないをかけて動けなくすること。心理的な強制によって、人の自由を束縛すること。」と説明されています。

「他者からの呪縛」や「他者への呪縛」、「自分自身への呪縛」などが思い当たります。

これらは、無意識のうちにしています。

親子の関係ならば、最初は保護者として、子を守るためにしていたことが、子がだんだん成長するにつれて、適正な変化に対応できなかったことが考えられます。

どこかの段階で、親か子が気づいて軌道修正できなければ、深刻な影響を及ぼす懸念があります。

夫婦やパートナーとの関わりでも、親友との関わりでも起こりうることです。

詐欺師の常用手段の一つで、ソフトに見える恐喝や強要に至るケースもありますね。

でも、一番観察する必要があるのが、自分自身に対する呪縛です。

「おまじない」は、自分の気持ちを動かすために非常に友好な手段ですが、これを、間違えると身動きがとれなくなるほどのダメージになってしまう可能性を孕んでいるので要注意です。

18歳で成人と見なされる法律が日本で施行されました。その点でも、各自の「健全な自立」が大切なのですね。

それぞれの立場で、自分のあり方やふるまい方を客観的に観察して、軌道修正していくことが、「呪縛」からの解放の方向性へと誘ってくれるのですね。


孤立しがちな家事担当者に向けてのこんな本を発見しました。

「自分を苦しめる「○○しなくちゃ!」の呪縛から自由になろう!」という「家事の呪縛をとく…」と題された本は、呪縛の具体的な例や対処法が記されています。

この本によると、「洗濯物は畳まなくちゃ…。」は、家事の呪縛だそうです。

料理や、片づけの工夫、インテリアの楽しみ方などの情報があふれています。でも、「自分はなんでちゃんとできないのだろうか」と落ち込んだり、イライラしたりします。

やることリストには「〇〇しなくちゃ」がいくつもあるのに、「今日もまたできなかった…」と自分を責めてしまう負のループを、本書では「家事の呪縛」と呼び、呪縛をといてラクになるための考え方や目からウロコの家事ワザを伝授します。

自分の内面にも向き合って、好き・嫌い、得意・不得意を再確認するための書き込み式のぺージを設けました。どんな家事にストレスを感じるか、家事に使える時間はどのくらいあるか、やり方を変えられる家事はあるか、など6つのワークを通して自分自身について知れば、家事の呪縛をとく準備は完了です。


参考文献:『家事の呪縛をとくノート』監修:心地よい暮らし研究会、編集:石川理恵(https://www.amazon.co.jp/dp/4074499290

へりくだりと幸い 箴言16:19

『19 へりくだって、貧しい者とともにいるのは、高ぶる者とともに分捕り物を分け合うのにまさる。(箴言16:19新改訳2017)』

「へりくだる」というのは、自尊心を失う状態ではありません。

また、自分は全く駄目と自己卑下をする事でもありません。自己卑下は、高慢と同じような性質も内包しています。

自己受容し、自己確立した状態で等身大の自分と向き合い、他人と優劣を争わない状態を意味します。

自分は何者なのかを問われています。

人間は、財産があっても、貧しくても、いのちの存在価値は同じです。

そもそも、優劣をつけなければならない世の中に歪みがあるのです。

知らないうちに、それに染まってしまうのが人間でもあります。

ですから、「高ぶる者とともに分捕り物を分け合う」というワナにハマってしまうことがあるのです。

「貧しい者とともにいる」と記されているのは、福音書イエス・キリストを思い起こさせます。

地上生活のイエス・キリストは、地上の資産家ではありませんでした。

また、当時の宗教指導者たちが、忌み嫌っていた「罪人」とレッテルを貼った人たちに寄り添っていました。

そこには、お金では買えないものがありました。

それは、「愛」です。

お金があれば、立派な装いも、子分を連れて歩くことも、病気になれば高価なクスリでも医者でも自在です。

それでも、寂しさにつける薬はどこにあるのでしょうか?

「愛」は人の心から供給される豊かな癒やしです。

人に寄り添い、言葉を傾聴し、その心を受け止める事こそ、究極の「愛の行動」ではないでしょうか?

それこそ、「お金に邪魔されない」究極的なコミュニケーションです。

また、「【主】の愛」は、「永遠から永遠へ」と続くのです。

その愛に包まれてる実感が持てると幸いですね。

善行は、憎悪の対象 マキャベリ

『善行は悪行と同じように、人の憎悪を招くものである。 マキャベリ

有名になると言うことはリスクを伴います。有名になった人が、あることないこと、様々な批判にさらされて、イヤな思いをすることを「有名税」と言われたりします。

注目を浴びると言うことは、良いことばかりでは無いようです。

しかし、「悪名は無名に勝る」という考え方で、炎上商法を目論む人は、まだまだいます。一種の確信犯的チャレンジャーですね。個人の選択なので、意としない人を巻き込まない限りにおいてはアリでしょう。

善行でも悪行でも、注目を集める事になりますが、善行を見える形でした所で、好感度だけが上がるわけでなありません。「売名行為だ」などとの批判が出てくるのも、歴史に記されています。

悪行は、アウトローにとっての売名行為なのかも知れませんね。

批判が出てくるのは、自分ができない事に対する「羨ましい」という気持ちからではないでしょうか?

「スゴいなあと羨望の眼差し」で見ていても、だんだん気持ちの変化が出てきて「嫉妬」に変わっていくのです。

それは、一瞬のうちに変化するのです。「羨望」と「嫉妬」は、紙一重と言うことですね。

でも、その差は大きいです。

羨望は、憧れがあり「その人のようになりたい」という気持ちです。一方、「嫉妬」は、「自分が居る所に相手を引き下げてやりたい」という気持ちです。

目立つ所にいる人は、この心理を理解して行動すると、いくぶんか「ネガティブ沼」を回避できるかも知れません。

以下は、マキャベリの君主についての考察です。これもまた、人生の難しい選択ですね。

君主の気質、残酷さと憐れみ深さは、憐れみ深い評判の方が好ましい。しかし、マキャベリは、君主は臣民に忠誠を守らせるためには残酷であると評価されることを気にしてはならないと言い、憐れみ深い政策によって結果的に無政府状態を許す君主よりも、残酷な手段によってでも安定的な統治を成功させることを重視した方が結果的に良い。
原則的には君主は信じすぎず、疑いすぎず、均衡した思慮と人間性を以って統治を行わなければならない。「愛されるより恐れられるほうがはるかに安全である」と考えられる。その理由は、利己的で偽善的な人間は、従順であっても利益がなくなれば反逆する。一方で、君主を恐れる人々にはそのようなことはない。
君主にとって信義も間違いなく重大であるが、実際には信義を気にせず、謀略によって大事業をなしとげた君主のほうが信義ある君主よりも優勢である場合が見受けられる。戦いは謀略によるものと武力によるものがあるが、この二つを君主は使い分けなければならない。もしも信義を守った結果、損害が出るならば、信義を守る必要は一切ない。重要なのは君主が立派な気質を備えているという事実ではなく、立派な気質を備えているという評価を持たせることなのである。

君主論』(くんしゅろん、伊: Il Principe, イル・プリンチペ)は、1532年に刊行されたニッコロ・マキャヴェッリによる、イタリア語で書かれた政治学の著作である。

歴史上の様々な君主および君主国を分析し、君主とはどうあるものか、君主として権力を獲得し、また保持し続けるにはどのような力量(徳、ヴィルトゥ)が必要かなどを論じている。その政治思想から現実主義の古典として位置づけられる。

君主論 - Wikipedia

 

自らが招く眼精疲労 工夫が必要

光る画面を見続ける毎日を送っている人が増えています。私も、ですが・・・。

スマホやPCなどは、LEDを見ているのですから、目にも負担がかかっているのです。

できるだけ回避しようと努力してみる事も大切だと感じています。

でも、生活様式がガラリと変わった今の時代では、それも限界があります。

結局の所、眼精疲労による影響を受けてしまいます。目の疲れからくる症状が休息をとっても治らない状態である眼精疲労の原因は、近視や老眼、矯正視力があっていないこと、ドライアイ、目の病気などの要素が考えられます。

目の奥が痛いとか、ショボショボしたり、まぶたがピクピクとか、かすみ目、充血、目が乾く(ドライアイ)
といった目の症状や、頭痛や肩こり、倦怠感などの全身の不調など、そのようなコンディションでは、イライラなどの原因にもなってしまいます。

スマホやパソコン操作による目の酷使で「VDT症候群」が急増しています。

慢性化すると背中の痛みや手のしびれなどを引き起こすこともあるので、気をつけたいですね。

アイケアクリニック本院 院長 佐藤香(さとう かおり)先生によると、次の対処方法があるそうです。

 

①眼を休ませる(眼を閉じたり、遠くをぼうっと眺めたりする)
②眼の周囲のリンパマッサージ
③あたためる
④ビタミンCを積極的に摂る
体と同じく、眼の筋肉も疲労回復には休息が重要です。30分画面を見たら、5分程度は眼を閉じたり遠くをぼうっと眺めたりして、筋肉の緊張をほぐしましょう。一方、「ぐるぐる回す」など眼球を動かすことは、眼の筋肉を余計に疲れさせ逆効果です。

参考サイト:

「スマホ眼病」チェックと5分でできる即効ケア | ソニー生命保険株式会社

 

特に、暗い所でのスマホ閲覧や就寝直前の閲覧は要注意だそうです。

夜の就寝前に受ける光の強い刺激は、睡眠のゴールデンタイムに影響を与え、睡眠負債に繋がる恐れがあるそうなので、避ける方向で生活の改善をしていきたいです。

これは、テレビ画面でも同じような影響があるそうなので、寝床に入る前に目から入った刺激をクールダウンする時間を設定した方が良さそうです。