永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

動画 こんなマッサージ受けてみたい

youtu.be

マッサージの練習動画でしょうか?

飼い主さんも、切望しているのかも知れませんね。

ネコちゃんは、ツメを出したり、隠したり自在なのでしょうか?

恐らく、このようなときには、爪を隠してするのでしょうね。

ネコちゃんの前足フミフミは、ついつい見入ってしまいます。

そのテンポといい、動作といい、実際に、自分に触れられていなくても、マッサージされているような錯覚に陥るのは、私だけでしょうか?

でも、たまに出てくる猫パンチは食らいたくないですね。

生き物としての生態は、不思議です。

生き物同士、そこそこ、共存できるように配慮したいと考えています。

天才の特徴 スタンダール

『天才の特徴は、凡人が敷いたレールに自分の思想をのせないことである。 スタンダール赤と黒』(新潮社)』

天才とは、「生まれつき備わっている、並み外れてすぐれた才能。また、そういう才能をもった人。(デジタル大辞泉)」との説明があります。

歴史に名を残している発明王と言われるエジソンが、その一人と評価されます。

でも、社会的には、かなり逸脱した個性の持ち主だったという見方もあります。

凡人からすると、「変人」「変わった人」という評価になります。

もう一つの特徴を考えると「観察眼」であったり、「好奇心」などではないでしょうか?

さらには、興味を持った対象には、異常なほどの執着心を抱くという要素もあるのかも知れません。

冒頭のフレーズは、見事に天才の特徴を表現しています。

「天才」は、「凡人」に殺されるという言い回しもあるようです。

このフレーズを当てはめると、「天才」をその周囲の「凡人」が、無理やりにでも、自分たちが敷いたレールにのせようとすると、その才能を潰してしまうことになりかねないと言うことですね。

「天才」ならば、あえて、そのレールに頼らずに、自ら茨の道に果敢に挑んでいくのでしょう。

そのような気配が見えたならば、邪魔をしないように見守りたいですね。

最近は、左利きの人をよく見かけるようになりました。

その背景を探っていくと、右利き優位の社会の中で、左利きだと苦労をするから等との理由で、幼少期から無理矢理強制されたという動きがあるようです。

当事者に何人も話を聞かせてもらいましたが、幼少期には辛い体験だったようです。

左利きが天才というわけではありませんが、周囲と違った一面があるということを目の当たりにしたときに、その状態を回避したいという心理が働くようです。

大衆迎合が安心するようですね。

でも、そもそも、人間は個性的な存在ですから、気にしすぎることはないのです。

むしろ、その個性を伸ばした方が、やがて、大輪の花を咲かせることになる可能性があるのではないでしょうか?

とにかく、非凡な才能を発見したら、それを大切にする意識を持ちたいですね。

リセットしたくなる気持ち さじ加減も必要

「心機一転、今までとは違う方向性で行こう」という決断をするときがあります。

そうなると、それまでの投稿写真を全削除などという選択をする人もいます。

それぞれの事情があるのでしょうから、その選択もアリなのかな?とは思います。

ただ、自分ならば、どうするのか?

これは、私の葛藤の内容ですね。

過去のデータなどが溜まって、スマホの容量に対する警告が出てくるようになりました。

目先の写真などをスマホから削除しながら、小手先で凌いでいます。

しかし、調子の乗りすぎて、大きなサイズの写真を撮影してしまうと、すぐにでも限界突破してしまうそうなスリル満点の状況です。

スマホが壊れたり、フリーズしたりする前に、対策をしておかねばと考えつつ、作戦を考える日々を過ごしています。

そもそも、スマホの中身で重要なものは何だろうと、ランキングをつけてみることも大切ですね。

基本的なものは、アカウントで保護されていますから、その端末に保存されているデータでしょうか。

最近のスマホの傾向は、高画質の写真を撮るためか、カメラで撮影した写真のデータ量が大きいことです。

昔は、保存できるサイズを選べたのになどと、ブツブツ言っています。

通信端末については、代替措置を講じれば、何とかできます。

まあ、器の問題と中身の問題を分けて考える必要があるのですね。

さて、人生の断捨離についてですが、これは、一度すればそれで良いというわけにはいかないようです。

思いっきり良く、ほとんどのものを処分してしまっても、生活習慣や判断基準が変えられないならば、同じことを繰り返すか、元に戻るかになります。

人間は、自分のライフスタイルを変えるという事が、非常に苦手な人が多いようです。

勉強が好きな人がいますが、それを葛藤を伴いながら実践してこそ身に付くもので、その時点で、自分のものに会得できる訳です。

机上の勉強では、堂々巡りのくり返しになる傾向が強いと考えています。

一番モッタイナイのは、人間関係を10年ごとにリセットすると言う人がいることです。

人間関係は、考え方が変われば、変化していくのは当然ですが、そこに、非がない相手をバッサリとは、思いっきりが良すぎるのではと私は思います。

人生の整理整頓は、常に課題ですね。

分岐点に立つ時 箴言11:5

『11:5 誠実な人の義なるわざは、その人の道を平らにし、悪しき者は、自分の悪事によって倒れる。 箴言11:5新改訳2017』

「正直者が馬鹿を見る」世の中と嘆く人が多いように感じます。

本来、人間は、良心に恥じないように生きています。

でも、「目先の欲」に誘われるときもあるものです。

まるで、目の前にニンジンをぶら下げられて、試されているかのようです。

魔が差すときに、間違った行動を選択してしまう事もあります。

その先に待ちかまえているのは、「自分の悪事によって倒れる」というリスクです。

特殊詐欺が横行する世の中ですが、頻度高く検挙されるのは、末端の「受け子」です。

割の良いアルバイトだと勘違いして、口車に乗せられて、犯行に及ぶのだそうです。

人生には、様々な選択肢があるはずですが、分岐点であれば、右か左を選べば良いのですが、時には行き止まりの道で、そびえ立つ壁しか見えないという心境に至ることがあります。

まるで、吹雪の中、ホワイトアウトした時のようです。

その様な時に、ジッと立ち止まって、耐える事ができれば良いのですが、いのちの危険を感じれば、イチかバチかの行動に出てしまうしか無いように感じます。

目の前に「蜘蛛の糸」がぶら下がっていたら、飛びつきたくなるのも理解できる部分はあります。

それが、助かる方法なら良いのですが、その先のことも十分に考えておく必要があります。

箴言に記されている「義」を考えておく必要があります。

これは、人間のチカラで到達できる領域ではないのです。

この「義」という漢字は「羊」の下に「我」という成り立ちです。これこそ、聖書の中心テーマなのです。

つまり、旧約聖書で預言されていた救世主(メシア)が、新約聖書の冒頭で登場し、「罪を取り除く神の子羊」として、十字架に架かり、死に、葬られ、三日目に復活したという要素が深く関わっているのです。

人間が、創造主である神【主】の前に「義」とされるためには、自分の身代わりに十字架に架けられたメシアであるイエス・キリスト神の子羊)の下に、身を置く必要があるという事です。

この「義」は、無代価で、信仰により、【主】の恵みによって、与えられるのです。

自分をそこに置く、起き続ける生活こそ「道を平らに」する唯一の方法なのです。

しかし、人間は二心ですから、良心に留まらず、フワフワし続けます。

でも、「羊」の下が、自分自身の安心ゾーンであることを理解し、そこに立ち返ることを【主】は喜んでくださるのです。

それは、全人類のために用意されているのですからね。

素人からはじまる エマーソン

『どんな芸術家でも最初は素人だった。 エマーソン』

「人間は、誰でも、赤ちゃんでした。」と言うところからが、そもそものはじまりですよね。

ただし、遺伝的要素や環境的要素、そして、心理的要素などが絡み合って、差が生まれるのだと考えています。

「天は二物を与えず」などと言われますが、これについては、異論を唱える人もいます。

他人から羨ましがられる要素を、いくつも持っている人がいると言うのです。

これには、私もそのように思います。

容姿端麗や才色兼備など、その人を形容する言葉があります。これは、外見ですが、その内面も、さらに、様々な才能も開花させている人がいるのを日常的に見ています。

その人が、経済的に裕福な環境なら、嫉妬ややっかみの対象になることもあります。

しかし、その人の実力が評価されていれば、ぐうの音も出なくなりますね。

そもそも、成長過程で、その子の才能を誰がどの様に発見するのか?

そして、それをどのように伸ばしていくのか?

「蛙の子は蛙」などと言われるように、音楽家の子は音楽の才能を受け継ぐ場合もあります。でも、それを期待されすぎて、自尊心を傷つける結果になることもあります。

楽家の条件は、耳が良いことだと聞きます。そして、聞き分けるチカラなども大切なようです。

その基礎があって、その上に、練習という日々の鍛錬を積み重ねてこそ、その才能の開花を見ることがデキルのでしょう。

環境的な要素は、どのレベルの楽器を使えるのか? どの程度の指導を受けられるのか?などによっても、差ができます。

あとは、本人のマインドと鍛錬でしょうね。

最近では、セルフプロデュースの分野を勉強して、実践しないと過当競争に対応できないようです。

芸術家の中でも、絵を描くセンスは、幼少の頃から現れると聞きます。

クレヨンで、殴り書きをする絵でも、色遣いにセンスが溢れ出るのだと言います。

それを感じ取る周囲のセンスも大切なのでしょうが、一番大切なのは、本人が自分の意志で、コツコツと取り組んで行くことでしょう。

それを、葛藤を抱えながらも、楽しむマインドを持てる人は、最高に必要な素質なのかも知れませんね。

星が見える安心感 厚い雲の上には満点の星 雲上快晴

飛行機のパイロットは、訓練の間、「雲上快晴」とくり返し、たたき込まれると聞きます。

それは、空港を飛び立つときに、雲に覆われていても、高度を上げて、雲の上に出れば、そこには「快晴の空」が広がっているというのです。

厳しく感じる訓練に耐えて、先輩パイロットが待つ雲上へという誘導のようです。

この地上では、寒い時期、空が晴れていれば、星が綺麗に見えます。

しかし、雲に覆われれば、あるはずの星が見えません。

「流星群が来る」とのインフォメーションがあっても、自分が居るところに雲がかかっていれば、見ることはできません。

その様な時に、星空観察会なるものも、あちらこちらでなされるようです。

それに参加しても、雲があれば、残念ながら見えません。

地上からは、どれだけ立派な天体望遠鏡を持っていても、雲に阻まれるのです。

昔の航海は、星が頼りだったと聞きます。

北極星などを見て、自分の進むべき方向性を確認するのだそうです。

しかし、荒天の航海はそれができません。

昔は方位磁石、今は、GPS等がありますから、それを頼りにしているようです。

青木ヶ原の樹海では、方位磁石が使えないと聞きます。

その理由は、磁力があちこちから出ているからだというのです。

でも、GPSは機能するというので、それを頼りにするという方法があるようです。

人間は、星を見上げてきました。

星が見えない夜もありますが、なおさら、星が見えるとホッとするのです。

人生の三分の一は睡眠です。

夜の暗さは、その肉体のニーズに合わせた設定のようです。

その暗いときの光は、太陽のように明るくては眠りに支障がありそうです。

また、月も満月から新月まで、満ち欠けするのは不思議です。

最近は、町が明るく、星が見にくいと感じますが、それでも、暗い影からなら見える星もあります。

寒いですが、星を見上げるのも悪くないですよ。

奇跡を願う気持ち マタイ伝15:22~28

『15:22 すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」
15:24 イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」
15:25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
15:26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
15:27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。 マタイ伝15:22~28新改訳2017』

イエス・キリストが、弟子たちを引き連れて歩いていると、カナン人の女が登場します。

この女は、「娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って、助けてくれるようにイエスに懇願するシーンです。

つまり、人間にはできないキセキを願いに来たのです。

それに対するイエスの応答が冷たいのではないかと読者から声が上がる箇所でもあります。

新約聖書福音書には、「あなたの信仰があなたを救った」というような言い回しが出てきます。

これは、イエスが求めに応じて、癒やしというキセキをしていると言うことではなく、その人の信仰を確認して、その応答として癒やすというステップが見えます。

この箇所は、かなり複雑ですが、カナン人の女の信仰は、微動だにしません。

エスは、「ダビデの子よ」と声をかけられたのですが、それは、ユダヤ人ならいざ知らず、カナン人の女からでしたから応答しなかったと言うことです。

続けて、自分の使命について語ります。

それは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」と、自分はユダヤ人を救うためにこの世に来たと言われるのです。

そして、「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」と続けます。これは、ユダヤ人の祝福を取り上げてまで、異邦人は助けないという意味にもとれます。

しかし、このカナン人の女は、「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」と応答したのです。これには、少々の説明を要します。

ユダヤ人は、選民という特権意識から、異邦人を犬と軽蔑していました。

その表現を使いながら「小犬」と置いているのです。

これは、救いは、ユダヤ人を通じて、異邦人、つまり、全人類に及ぶという道筋も見えるのです。

このカナン人の女は、信仰により、癒やしを得ることになったのです。

キセキを求めるよりも、【主】の御手が、常に差し伸べられていることを意識する必要があるのですね。

リンク集

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キーワード 空中携挙 エゼキエル戦争 和平契約 第三神殿 ハルマゲドンの戦い 再臨のメシアは誰? イスラエルの運命は?

今から終末時代に起きること補筆版

大患難時代の聖書的基礎知識① 預言と獣の刻印(666)の回避方法

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大患難時代の聖書的基礎知識② 大患難時代の前半 七つの封印の巻物 七つのラッパ

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大患難時代の聖書的基礎知識③ 大患難時代の後半 第七のラッパ 七つの鉢の裁き ハルマゲドンの戦い

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大患難時代の聖書的基礎知識④ 大患難時代と私の関係性

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ハルマゲドンの戦いについてリンク

ハルマゲドンの戦い① イズレエルの谷に反キリスト同盟軍集結 ヨハネの黙示録16:12-16

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/09/10/000000

ハルマゲドンの戦い② 政治的・経済的バビロンが滅亡 イザヤ13:1-5

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/09/17/000000

ハルマゲドンの戦い③ エルサレムが陥落する ゼカリヤ12:2-3、14:1-2

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/09/24/000000

ハルマゲドンの戦い④ ボツラに押しかける反キリスト勢 ヨハネの黙示録12:6-17

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/10/01/000000

ハルマゲドンの戦い⑤ イスラエルの国家的新生 エレミヤ3:12-18、ホセア5:15

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/10/08/000000

ハルマゲドンの戦い⑥ メシアの再臨 イザヤ34:1-7

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/10/15/000000

ハルマゲドンの戦い⑦ ヨシャパテの谷へ追い込まれる反キリスト勢 ヨエル3:12-13

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/10/22/000000

ハルマゲドンの戦い⑧ 勝利の後にオリーブ山に立つメシア ゼカリヤ14:3-5

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/10/29/000000

【主】のめぐみプロジェクトは、下記から

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