永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

天使と苦悩 ナイチンゲール

『天使とは美しい花をまき散らすものではなく、苦悩するもののために戦うものである。 ナイチンゲール

元祖、白衣の天使といわれたナイチンゲールのフレーズです。

天使を美化しすぎる事への警告も含まれているように感じます。

天使のイメージは、願いを叶えてくれたり、意中の人との縁を取り持ってくれたりなど、美しい花をまき散らすように洗脳されていたのかも知れません。

でも、使命を帯びた天使は、本当に苦悩している対象を助けるための戦いを繰り広げていると言うのですね。

看護の現場では、寄り添うことが基本ですが、患者の同意を得ながら、最善を尽くすために、色々な戦いがあると聞きます。

時には、患者に痛みを伴う対処もしなければならず、痛さを患者の表情が訴えると、看護士自身の心も痛みを伴うというのです。

天使は、警護対象を守ってくれるというイメージが強いですから、BG(ボディーガード)のようですね。

その天使が、自分といつも一緒に居て、苦悩を共有してくれているとすれば、なんと心強いことでしょうか.

看護士さん、保護者の方々、今日もよろしくお願いします。

シバレルときくとポカンとする

「今日は、シバレルねえ」

と北海道出身の人から聞いて、意味がわからずにポカンとしておりました。

ある時には

「これ投げてくるわ!」

と言い残して、軽トラックに荷物をいっぱい積んで出かけていきました。

帰ってきてから、北海道弁について教えてもらいました。

「シバレル」とは、凍えるほど寒いこと、「投げる」は、捨てることだそうです。

シバレルときくと、縄で縛るを連想していましたから、何のことかわからずポカンとするわけです。

また、投げるというと、ボールを投げることを連想していますから、まさかゴミを捨てるなどとは想像できないですよね。

同じ日本で、日本語を話しながらでも、通じないことがあるのだという体験でした。

今は、テレビの普及で、標準語なるものが、日本全国津々浦々に浸透しているのだそうです。

それでも、ローカルエリアでは、日々のコミュニケーションには方言は欠かせないようです。

地方の方々は、バイリンガル、同時通訳を実践されているのですね。

「都市部は田舎者の集まりでもある」という話もあります。

元々の原住民は、人口が増えるにつれて、薄まっていく傾向がありますから、その国の各地から都市部に出てきた人たちが多数になることもあるのですね。

方言の成り立ちの一説には、コミュニティーの確立とセキュリティではないかというのがあります。

このセキュリティは、危険回避のためによそ者を排除するという意味合いも含まれています。

安全安心を追求するのか、コミュニティーの拡大を目指すのか、先人は悩んだでしょうね。

アリから学ぶ 箴言6:6-8

『怠け者よ、蟻のところへ行け。そのやり方を見て、知恵を得よ。蟻には首領もつかさも支配者もいないが、夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。(箴言6:6-8新改訳2017)』

アリは、人間にとって身近な生き物の一つです。

公園などに行っても、地面を一生懸命に移動していますから、目に触れやすいのでしょうか。

強い興味を示す人のために、飼育キットもあるようです。

子どもが昆虫を飼いたいと言い出したら、親として複雑な気持ちも芽生えるという話も聞きますね。

このアリの生態を観察していると、身体の何倍もあるような、大きな荷物を運んでいるなど、勤勉なイメージを感じます。

私は、生き物には創造主の知恵が授けられているように考えています。

それは、運んでいるものは、アリにとっては、巣の材料や食物になるものだからです。

「夏のうちに」やがて来るであろう冬のために備えをしていることになるからです。

ある研究者が調べた所によると、アリの80%はアクティブな働きアリでも、20%はサボるアリなのだというのです。

しかし、働きアリに欠員ができると、サボるアリが働きアリに変わるという不思議な現象が起きるのだそうです。

8020(ハチマルニーマル)の法則が、ココにもあるようです。

大切なのは、アリは、備えをする必要性を知っていて、備える方法も理解して、行動しているということです。

人間として、備えの必要性、方法、行動は、何が適切なのでしょうね?

どうして心配するの? ウォルト・ディズニー

『どうして心配するの。あなたが、やれる最善を尽くしたのなら、心配したって事態は良くならないだろう。 ウォルト・ディズニー

「心配」は「心を配る」というのが本来の意味なのですが、「不安を掻き立てられる」というニュアンスを感じ取る人が多いのではないでしょうか?

結果がどうなるのか?については、結果が出るまで待つしか、他に方法はありません。

でも、それに心を占領されてしまい、やらなければいけないような事柄が手につかなくなってしまいます。

端的に言ってしまえば、それが、人間の興味の大半なのでしょうね。

期待が大きいからこそ、不安も大きく、プレッシャーも感じて、何ともできないジレンマで、ストレスフルになってしまいます。

多くの子どもに夢を与え、虜にしているウォルト・ディズニーは、このような考え方も持っていたのですね。

心配する必要があることと、心配してもどうしようもないことの線引きを合理的に考えた方が、時間の有効活用ができそうです。

人間の情というものは、自分に利害関係が無いことでも、気をもんで心配する一面も持っています。

その気持ちも有難いと考えられる心の広さも必要なのでしょうね。

情なのか? 合理性なのか? 合わせて判断する必要がありそうです。

当事者? 傍観者?

常に、主観的か客観的かの論議があります。

もう一つ大切な要素として、その時の私は当事者なのか? それとも、傍観者なのか?というものもあります。

この両方の軸を活用して、その時の観察視点と自分のアクションを決めていく必要があると考えています。

また、自分自身が当事者であっても、客観的な視点は重要です。

もし、当事者であるなら、主体的に、どのようなアクションを選択するのかを態度決定する必要がありますね。

多くのトラブルは、傍観者であるにも関わらずに、当事者を越えて、意志決定をしているケースです。

これは、親子の場合、かなりの割合で起きている事案でしょうね。

あくまでも、意志決定、態度決定をするのは、当事者であることにフォーカスする必要があります。

もちろん、参考意見やアドバイスを否定する訳ではありません。

そのアプローチ姿勢にこそ課題がありますね。それは、「どうするかはあなた次第です。」というスタンスでいることです。

そして、相手がどのような選択をしても、相手の気持ちを考えて、適切な距離で寄り添うことを心がけることが大切だと考えています。

人間は、失敗をしたくない、または、経験上、失敗をしてきた人は、人にも失敗をして欲しくないと考えてしまいがちです。

でも、人間の成長のためには、失敗をすることも大切な要素のようです。

いのちをかけるというなら、その覚悟で寄り添うことも、時には必要なのでしょうね。

骨を折る程度の失敗を何が何でも阻止するというのは、考えをあらためる方が、将来の可能性が大きくなるのかも知れませんね。

また、安易に逃げ道をふさぐようなアプローチも気をつける必要がありそうです。

チャレンジの結果、身一つで返ってきたとしても、居場所を作っておいてあげる余地があるくらいが、再起しやすい時代なのでしょうね。

モーセの舅イテロ 出エジプト18:5-7 ロマ12:15

『こうしてモーセのしゅうとイテロは、モーセの息子と妻と一緒に、荒野にいるモーセのところにやって来た。彼はそこの神の山に宿営していた。イテロはモーセに伝えた。「あなたのしゅうとである私イテロが、あなたの妻とその二人の息子と一緒に、あなたのところに来ています。」モーセはしゅうとを迎えに出て行き、身をかがめ、彼に口づけした。彼らは互いに安否を問い、天幕に入った。(出エジプト18:5-7新改訳2017)』

出エジプトのリーダーとして奮闘しているモーセの所に、しゅうとイテロが、モーセの妻と二人の息子を伴って来てくれました。

しゅうとイテロは、ミデアンの祭司という立場でしたから、政治的にも宗教的にも重要な役割を果たしていたのです。この時は、律法授与の前で、アロンもまだ大祭司には就いていませんでした。

でも、イテロは、「主はほむべきかな」というスタンスに立っていたようです。

イテロの信仰告白は、異邦人が信仰で救われる、ひな型でもあります。

かつて、イテロの娘たちがモーセに助けられたという話を聞いた時に、モーセを婿に迎えたという目利きでもあったのです。

イテロは、モーセという逸材を発見して、モーセを育てるために投資したとも言えるでしょう。

かつては、「イテロの婿モーセ」と言われていたのが、今や「モーセのしゅうとイテロ」と呼ばれるように変化したのです。モーセは、150万人のイスラエルの民のリーダーに成長していたのですから。

モーセの存在が、ミデアンに居たイテロの信仰にも繋がったのですね。

投資として考えるならば、人育てには、手間ひまとコストがかかり、時には、リターンが得られないことも多いですが、様々な喜怒哀楽や得がたい喜びも伴います。

これは、子育てにも似ている感覚かも知れませんね。

血の繋がった親子や養育家庭の場合は、濃厚接触です。いつも、一緒は大変ですね。

しかし、人材育成については、接点が限られているケースもあり、忍耐も必要になってきます。

常に、程よい距離感を探利続ける必要もありますからね。

明日のための備えのために、何に投資をしますか?

『喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。(ロマ12:15新改訳2017)』

 

動画 長いものには巻かれない警戒心


Cautious Kitty Doesn't Trust the Garden Hose || ViralHog

動物は、防衛本能が植え付けられているのでしょうね。

蛇が、ニョロニョロ近寄ってくるとイメージするだけで、身構えてしまう人も多いことでしょうね。

この動画では、ネコちゃんが、横たわったホースと格闘しています。

中に水が通る時や移動させる時に動くので、ネコちゃんからは、生き物のように感じてしまうのも無理は無いかも知れませんね。

シンプルに飛び越えたい(またぎたい)だけのようですが、かなり警戒して、最後にはハイジャンプを繰り出すようにしています。

お庭で生活していても、様々な生き物と遭遇するのでしょうから、警戒心が鋭くなるのも当然なのかも。

どうか、穏やかに過ごして欲しいと願うばかりです。