人の目を気にし、不安と疑惑の中を揺れ動きながら、自己を卑下して引きこもりがちになる、比較的軽く体系的ではない妄想。(中略)
自分自身に問題があると思い争いから逃げようとする。何をしても失敗しそうな漠然とした将来への不安、周囲から避けられ見捨てられるのではないかという不安を抱き、周りの物事を自らに結びつける関係妄想が主である。
「1分で精神症状が学べる304 松崎朝樹著」より
日常で、無力感を味わう事が結構あります。
自分には、何も出来ないと思い詰めることもありました。
そのようなときに、心療内科を受診すれば、「無力妄想」と診断されていたかも知れません。
等身大の自分という意識が持てないときには、自分の精神が、色々なプレッシャーに晒されているのですね。
ふり返れば、袋小路に追い込まれているような閉塞感を持ったときがあります。
何をやっても、上手く行かないような気がして、手も足も出ないという感覚が支配的でした。
そのようなときに、「これを失敗したらおわり」というメッセージがグルグルしていたのを思い出します。
これは、保護者の口癖だったのです。
自分なりのワードを作りマインド転換をしました。
「大丈夫! 今ココからだ」
時には、「大丈夫!」をずーっとつぶやいていましたね。
時間軸を「今ココ」に合わせるのは、習慣化が必要でした。
でも、どうして大丈夫かの根拠については、終末時代のバイブルスタディが貢献しています。
それは、ゴールから逆算が出来るからです。
そうすることによって、自分が活動できる範囲を予測できます。
そして、その範囲で、自分にできる事を探っていけるのです。
これは、一例に過ぎませんが、人間の数だけ、創意と工夫があると思います。
創造主である神【主】に造られた人間には、一人一人に、何かの能力があり、その能力を生かすことで、より良い人生にしていけるのです。
人生は、それを探す旅でもあるのだと私は考えています。