永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

「本当に必要がある所に届くと良いな」と思うのだが 慈善団体について

募金をどうしていますか?

そのような会話をする機会が増えました。

今は、日本国内の援助が必要な方々がいるのではないかと考えています。

「世界規模で活動している慈善団体がありますが、募金の目的の地域に届いているのだろうか?」と聞かれることが増えています。

私は、それらの団体には関わっていませんし、実際の所の動きが理解できていません。

でも、募金をしている当事者としては非常に気になっています。

疑問を持たれる一つに、地上波テレビでのCMスポットがあります。良い時間帯に流せば、費用もかさむと想像できます。

また、国内でかかる経費についても、かなり懸念があります。少なく見積もっても20%程度はかかっていると聞いたことがあります。

さらに、別の団体では、古着を集めると言って、現地までの送料相当として「○○円」を徴収していましたが、それは、現地には届かず、「現金がどうなったのか?」という話もあったりしました。

古着には、現地には不適切なものが多かったり、現実的には、新品の安価で清潔な衣服を届けた方が、トータルコストも衛生面も数倍良いことも、理屈の上では成り立ちます。

古着の処分には罪悪感が伴いますから、その気持ちの受け皿としての海外支援という流れもあるのではないかという要素を推察しています。

「?」が増える情報が出てくると、自分たちの善意が、どの様な形になっているのかについて確かめたくなります。

しかし、それを客観的に確かめる方法はナカナカ見当たりません。

それでも、募金者は「本当に必要がある所に届くと良いな」と願いながら託すしか方法はないのですね。

経済的にユトリが無くなれば、募金さえ断念せざるを得なくなるかも知れませんね。

世界の金融システムが変われば、また違うサポートの形式になるのでしょうか?

募金を預かっている慈善団体にお願いしたいのは、多くの人が持つ「?」の解消に努めてもらいたいです。

募金している当事者としては、現地を直接サポートができないので、やむなく慈善団体を経由していること、また、その中には、ある程度の生活水準にあるコトの「罪滅ぼし」のような気持ちも入っていることを含み置きいただきたいと思います。

さらには、現地の人の健康に寄与するサポートに努め、健康被害が及ばないように最大限の配慮をお願いしたいです。過去に、ポリオワクチンによる被害があったとの記事があり、自分が募金したことで、間接的に健康被害が及んだと考えると、とても複雑な気持ちに苛まれます。

それらが、解消されないと、今後は、別の形式のサポートに切り替えないといけないという発想が頭をよぎります。

本当に必要がある所に届くと良いなという善意が届きますように。