近代社会の時間の使い方に対する警鐘なのでしょうね。
心理学的に言えば、話を聞くことがたいそう上手なモモは、良いカウンセラーというところでしょうか。
「時間どろぼう」たちが「時間貯蓄銀行」に預けるように仕向けて、人と人のコミュニケーションが希薄になっていく様子は、時間の効率化という名のゆとりを奪う行為なのでしょうね。
「忙しい」という言い訳をして、人を援助するのを断ってしまったり、効率化だけに意識を奪われて、品質や配慮を欠いてしまったりしてしまう時もありますよね。
そのような状況になってくると、人と人の間が、ギスギスしてしまって、喧嘩やトラブルが増えてしまいます。
時間だけではなくお金の使い方もマネージメントできないと、抱え込んでいても持て余してしまいます。
「分厚い預時通帳」を抱えていても、ちっともゆとりを実感できない村人と同じですね。
「時間は、ほんとうの持ち主から切りはなされると、文字通り死んでしまうのだ。人間というのは、一人ひとり時間を持っている。この時間は、本当に自分の時間である間だけ、生きた時間でいられるのだ。」
とミヒャエル・エンデは述べています。
自分に与えられた時間を有効に使いたいですね。
参考文献:「モモー時間どろぼうと盗まれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語」(ミヒャエル・エンデ作・大島かおり訳)