断るのが面倒くさいから、仕方がないか。
その様に考えるのは、ちょっと待った方が良いですよ。
高慢な態度で迫ってくる相手に、どの様に対峙するのかは、大きな課題です。
「押してもダメなら引いてみな」という経験則に基づいたアドバイスも頭をよぎることでしょうね。
このフレーズは、自他境界線を考える必要性を示唆しているようです。
これは、ローマ時代に関わることの中で、示されていることなので、その背景をイメージする必要もあるのでしょう。
強権的な体制に、何かを迫られたとしたら、どの様に対抗するかという問いでもありますね。
命懸けの対応です。
「上から目線の相手とどの様に接するか」からはじめて、「極めて高圧的な相手ならどうするのか」というロールプレイングゲームをしておく必要がありそうです。
かつて、エジプトに助けを求めたイスラエルの民は、友好的に移住したのですが、奴隷状態に置かれてしまいました。
「茹でガエル」という形容があります。
茹でガエル(ゆでがえる、英語: Boiling frog)とは、緩やかな環境変化下においては、それに気づかず致命的な状況に陥りやすいという警句。生きたカエルを突然熱湯に入れれば飛び出して逃げるが、水に入れた状態で常温からゆっくり沸騰させると危険を察知できず、そのまま茹でられて死ぬという説話に基づく。茹でガエル現象(ゆでガエルげんしょう)[2]、茹でガエルの法則(ゆでガエルのほうそく)とも呼ばれる。
19世紀のいくつかの実験を基に、加熱が十分に穏やかであれば、この説話は再現可能な事実だと考えられていた[3][4]。しかし、現代の生物学の見地においては、これはありえないとされている。カエルや他の変温動物においては、場所移動による自然な体温調節は、野生で生き残るためには必須な能力であり、徐々に加熱されてもカエルは飛び出して逃げ出してしまう[2]。さらに付け加えれば、既に沸騰している熱湯にカエルを入れれば飛び出す前に死ぬ[5][6]。
屈従をすれば、この懸念があります。
しかし、血を見る覚悟で、徹底的に対抗すれば、大切なモノや自分のいのちまで失う懸念もあります。
「茹でガエル」になっていのちをとられるか? 徹底的に戦うか? 妥協策をひねり出すか? 検討の余地がありそうですね。
共存の可能性があるのならば、妥協策もアリなのだと考えます。
果たして、吉と出るか凶と出るか?
せめて、茹でガエルにならないように気を付けたいですね。