涙についてのフレーズです。
「女子の涙は勝利の涙」というのは、周囲が注目する場面です。
涙は女性最大の武器と言われたりします。
今は、男女対等の時代、こんなことを言うと怒られますかね。
人前では、涙を流さず、歯を食いしばって奮闘している人を応援したくなります。
でも、涙を流す局面は、多くあります。
悲しいとき、悔しいとき、うれしいとき、為す術がないときなど、頬をつたう涙のしょっぱさを味わう経験を持つ人も少なくないはずです。
「男子の涙は降伏の涙」とあるのは、万策が尽きたときという感じでしょうか?
情けない思い、ぐうの音も出ない悔し涙というイメージを持ちます。
人前で、男性が涙を流すのは、格好が悪いという風潮がありました。
日本では尚更かも知れません。
近年、プロスポーツの大記録が出る局面で、それを達成したヒーローにインタビューをすると、人目を憚らずに涙を見せるケースも増えてきました。
それを見ている人たちも、格好良い涙という位置づけで、感動を共有しているのは良い光景だと感じています。
昔風に、ヨロイカブトを着るような、鉄仮面の装いよりも、感情を素直に表現する今風の方が、共感性があがるのでしょうね。
少し、感情を煽る傾向が強いようにも感じます。
でも、素直な勝者の弁、または、悔し紛れの敗者の弁も、素直に表現する事が大切だと感じます。
涙は、基本的に見せるモノではないと考えていますが、無理に止めるモノでもないと思います。
長谷川 如是閑(はせがわ にょぜかん、1875年(明治8年)11月30日 - 1969年(昭和44年)11月11日[3])は、日本のジャーナリスト、文明批評家、評論家、小説家。明治・大正・昭和と三代にわたり、新聞記事・評論・エッセイ・戯曲・小説・紀行と約3000本もの作品を著した。大山郁夫らとともに雑誌『我等』(後に『批判』)を創刊し、大正デモクラシー期の代表的論客の一人。「如是閑」は雅号、本名は萬次郎。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。