永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

いのちの木を考える 箴言15:4

『4 穏やかな舌はいのちの木。舌のねじれは霊の破れ。 箴言15:4新改訳2017』

「いのちの木」は、アダムとエバが置かれた植物の園エデンにありました。

アダムとエバが、気になったのが、善悪を知るの木でした。それは、蛇に化身したサタンに、誘惑されたエバが、賢くなりたいと言うのが動機のようです。

大切なモノを見落とすことは、人生の汚点になりますが、アダムとエバの選択は、人間の歴史を変えてしまいました。もし、「いのちの木」の実を食べていたなら、「罪」に取り憑かれることなく、そこがパラダイスになったのではないかと考えられています。

しかし、サタンが絡むからには、すんなりと事が運ぶ訳がありませんね。

その歴史の延長線上に、私たちがいるのですから、それは、創造主である神【主】が決められたと受け入れる他なさそうです。

舌の根っこは心に繋がっています。これは、感情的にもなりますから、時には、制御不能になります。

「舌のねじれは霊の破れ」とあるのは、「たましいの破綻」とも表現できます。

人格の基である「霊」や「たましい」が、壊れていると言う意味です。

一方、「穏やかな舌はいのちの木」とあるのは、安心感が広がる言葉です。

つまり、その「根っこがどこに繋がっているか」が大切なのですね。

この箴言が奨めているのは、「いのちの木」に繋がる大切さです。

これは、創造主である神【主】と直結する事を意味しています。

そうすると、とげとげしい言葉を話していた、すさんだ状態から解放され、潤いのある穏やかな言葉を使えるようになっていきます。

この人にだったら、話しても良いかな?という気持ちになる事があります。

そのような存在がそばにある人は幸せかも知れません。その人には、周囲の人が持ち合わせていない要素を持っているのでしょうね。

自分は、クリスチャンとアピールしたりしてみても、周囲からは、そのように感じられないと言われたりすることもあるでしょう。

でも、まず、「いのちの木」の意味を考え、その恵みを自分の中に、浸透させていくと、必ず変化が現れるはずです。

大切なのは、自分からアピールすることではなくて、周囲の人にどの様に感じてもらえるかがカギなのですね。

「穏やかな舌」を目指したいです。