『18 高慢は破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。(箴言16:18新改訳2017)』
人間は、自信が必要です。これは、自己受容し、自己確立という土台の上にある、等身大の自分という認識です。
でも、自分だけが一番だと考えると「高慢」となります。
これは、かつて「暁の子」と呼ばれたサタンをお手本としてしまいます。サタンは、天使の最高位ケルビムでしたが、その地位に満足しないで、【主】の上に位置しようと企みました。これが、聖書に記されている最初の「高慢」です。
人間は、なぜだか自分を大きく見せたがります。
それが、どれほどのものかは、周囲が判断するのですが、その人の等身大とかけ離れていれば、相手にされなくなります。
そうすると、自分を保てなくなり破滅へと向かってしまうのです。
時には、自分への問いかけも大切です。
自分が「高慢」な時は、どういう状況か? などですね。
孤立感を感じるときや自信喪失したときなど、もたげてくるのが「高慢」なのかも知れません。
自分を支えるために必要な自尊心と「高慢」は分けて考える必要があります。
ちょっとした表現でも、振る舞いでも、意識化して注意したいモノです。
信仰者の視点では、【主】との関係性です。
人間の努力では、「【主】の義」には、到達できません。
メシアであるイエス・キリストの唯一無二の犠牲を自分のためだと信じて、そのめぐみをいただく立場であることを思い返す事が大切なのですね。
ついつい、自分の「罪」は解決したと誇ってしまうこともあるのかも知れません。
ただ、【主】の前に、ひざまずいて感謝を捧げることしかできないのが人間なのですね。
この認識に、留まることができるように、日々の感謝を継続するのです。
そうすることで、「高ぶった霊」に向かうことを回避できるのです。
「高慢は破滅へ」、「高ぶった霊は挫折へ」向かうという悪循環は避けたいですよね。