永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

幕屋の幕が裂かれた理由① 出26:31-35

『◆至聖所の垂れ幕
次に、青、紫、緋色の毛糸、および亜麻のより糸を使って、意匠家の描いたケルビムの模様の垂れ幕を作り、金箔で覆ったアカシヤ材の四本の柱の鉤に掛けなさい。鉤は金、四本の柱の台座は銀で作る。その垂れ幕は留め金の下に掛け、その垂れ幕の奥に掟の箱を置く。この垂れ幕はあなたたちに対して聖所と至聖所とを分けるものとなる。至聖所の掟の箱の上に贖いの座を置く。垂れ幕の手前には机を置き、向かい合わせに燭台を置く。燭台は幕屋の南側に、机は北側に置く。 (出26:31-35新共同訳)』

人間には、漠然とした不安があります。それは、大切な関係が突然プッツリと切れた喪失感です。どれだけ努力しても、お金を用意しても、人間には払拭できないことでした。

「完了した。テテレスタイ…ギリシャ語」とイエス・キリストが十字架上で叫んだ時に、神殿の分厚い隔ての幕が上から下に裂けました。その時に、人間には不可能な罪科が完済されたので隔ての幕は不要になったのです。全人類は、それを自分の為と信じるだけで、罪科が免除され、永遠の幸福マインドで生きることができるのです。

今も世界の注目を集めているイスラエルユダヤ人)に示された聖書に記されている大切な事柄です。

人間が取り返せない過ちに陥った事柄は創世記に記されています。最初の人間アダムとその妻エバが、究極の楽園エデンに暮らしていました。創造主である神から示されていた、たった一つだけの約束事は、「園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから(創世記3:3)」でした。それを食べなくても、他に多くの果実がたわわに実っていました。

案の定「女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。(創世記3:6)」これによって、人間の肉体的死がもたらされたのです。究極の楽園エデンから追放され、死の不安に取り憑かれて生きるようになったのです。今の時代でも、一つだけダメと言われると、それが気になるのは、この時のDNAを引き継いでいるからなのでしょうね。

その状況を解決する為の創造主である神の宣言、『主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で 呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き お前は彼のかかとを砕く。」(創世記3:14-15)』

ここで、蛇と言われているのがサタン(悪魔)で、今の天地が創造される前に、天使長として管理権を与えられていたルシファーです。ルシファーは神を超えた位置を狙いクーデターを起こし失敗したのです。その結果、ルシファーは管理権を剥奪されサタンに、追従した御使いは悪霊に堕とされました。サタンは、アダムとエバを惑わして、罪に誘い込むことで、この地上権を再獲得し、創造主である神の許可する範囲内ですが、「空中の権をとる司」として活動をしています。そして、サタンと悪霊は永遠の牢獄が確定しています。その道連れにする人間を探し求めています。

女の子孫と記されているのはメシア(救世主)であるイエス・キリストのことで、サタンの頭を砕くと言うのです。それは、今から約2000年前のローマ帝国支配下であったイスラエルで成就された史実です。

アダムとエバが追放されたエデンは、チグリス川とユーフラテス川のほとりにあり、現在では位置不明です。エデンの園追放後、人口は増え広がりました。ノアの方舟や洪水(創世記6:-)、バベルの塔事件(創世記11:)、イスラエルアブラハム召命(創世記12:)などを経て、イサク、ヤコブへと繋がり、エジプトでの奴隷生活、さらには、映画「十戒」でも取り上げられた出エジプトと繋がっていくのです。

いくつもの時代を経ているので、全貌が把握しにくく、信じられないと考える人が多くいます。

私にとっては、信じる方が自然でした。まず、聖書に記された骨組みを知ることからをオススメいたします。