永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

エデンの園 はじめて罪を犯す 創世記3:1-7,15,21-24 追放 最初の殺人

『さて蛇は、神である【主】が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。
そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。そよ風の吹くころ、彼らは、神である【主】が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。神である【主】は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」神である【主】は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」神である【主】は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。神である【主】はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」神である【主】は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。(創世記3:1-24新改訳2017)』

蛇と記されているのは、悪魔すなわちサタンのことです。この時の蛇は美しい姿だったようです。

人間への「罪」への誘導により、蛇は「どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。」と、今のような姿になったのです。

最初の人間、アダムとエバの生活は、エデン契約(創世記1:28-30)に基づいていました。

それを要約すると、男女の性的関係により子孫が繁栄すること、地とそこに住むものとを支配・管理する特権、生物界を管理、植物の園は、果実がたわわに実り、十分な生活ができる環境で、エデンの園を耕し、守ることを命じられ、どの木からでも思いのまま食べてよいが、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。善悪の知識の木から取って食べるとき、人は必ず死ぬと言われていました。。

エデンの園では、たった一つの禁止令があり、時限的に人間がテストされました。

この時点では、人間は罪を犯さない能力も、罪を犯す能力も与えられていて、もし、合格していれば人は罪を犯すことができない聖なる性質が確定した状態になっていたのです。

しかし、現実は真逆でした。神の命令に違反した瞬間に、神との断絶(霊的死)が起こり、肉体的死も伴うことになりました。

騙されたとわかったときには、すでに遅いのです。やり直しや取り返しがつかないこともあります。

この箇所は、聖書の中で記された最初の嘘で、「目が開け」「神のようになり」「善悪を知るようになる」というものでした。サタンは、神の知恵や愛、そして義に疑問を投げかけ、神の言葉を否定し、不従順がよりよい結果をもたらすという誘導をします。それは、今も変わりません。

人間は、丸裸にされていることに気づいたのですが、為す術がありません。

【主】との語らいの時間が迫っているのに、「いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆い……それで人とその妻は、神である【主】の御顔を避けて、園の木の間に身を隠……」れるのが精一杯でした。

【主】は全能ですから事の顛末をご存じのはずですが、「あなたはどこにいるのか。」という問いかけから、対話をはじめられました。

最初の人間は、自分たちの選択が間違っていたことを認めるのではなく、アダムは隠れてエバのせいにして、エバはサタンのせいにしたのです。

真実に背を向けて、逃避し、責任転嫁をするのは、人間が受け継いでいる「罪」のなせるワザなのですね。その理由はシンプルです。人間には解決策を見いだせないからです。

まず、サタンは蛇の中に入ってエバと対話していたのですが、蛇(サタン)に対して、裁きが下されました。

「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」

説明を加えると、蛇が呪われた状態に変えられること、女の子孫はやがて現れる救世主(メシア)を意味し、その時に、サタン(蛇)の頭は砕かれ、完全な敗北が訪れるというサタンへの宣告です。

次は、女に対しての裁きです。

エバは、サタンの誘導にまんまとはまり、アダムも「罪」に引き込む事になりました。これは、本来、「助け手」としての立場が逆転し、主導的な立場になった構図です。

これに対して、女性の月経や出産に関する苦しみの宣告と、夫を立てる「助け手」としての立ち位置の確認がなされました。この時点では、まだ子を産んでいなかった「エバ」は、生きるものすべての母だと言われたのです。全人類は、このエバのDNAを受け継いでいるのですね。

そして、男(アダム)に対しては、人類の代表としての立場で聞かなければいけない宣告がありました。

それは、人類の頭として、創造主である神よりも、サタンの誘惑された妻の声に聞き従い、禁断の木の実を食べたので、この問題は、アダムに責任があると言うのです。エデン契約に違反したので、霊的な死が確定し、アダム契約で肉体的死が宣告されました。

人の支配下にあった土地が呪われ、その象徴である「いばらとあざみ」が生えてきました。

ノア契約の時に肉食が許可されますが、この時は、菜食でした。また、労働について、エデン契約では負担に感じなかったのが、この後には、額に汗を流す苦役を伴う労働になっていきます。

そして、ついにエデンの園を追放される時がやってきました。

創造主である神は、素っ裸で追い出すことはありませんでした。皮の衣を与え、その後の指針を与えられたのです。皮の衣は、創造主である神が動物を犠牲にして、血を流し、用意された最初のものです。アダムとエバは、死というものを初めて目撃し、自分たちの死も予感したことでしょう。血の犠牲は、裁きと恵みの要素を含んでいます。すぐに縮れてしまうイチジクの葉の衣から、しなやかな皮の衣を授かったのです。その意味合いは、創造主である神に近づくためには、人間が作った衣では不十分で、神が血を流して用意された衣でないと有効ではなく、それは、追放される前に用意されているのです。

追放は、地理的にエデンの園の域外に出されることと、霊的にシャカイナグローリーとの交わりが喪失するという二面を意味しています。「エデンの東」という言葉をご存じの方もいらっしゃると思いますが、そこがエデンの園の入り口だと考えられています。

それは、幕屋や神殿と位置関係が同じと考えられていて、西が正面、入り口は東側とされたのです。追放されたときに、そこはケルビム(天使)と輪を描いて回る剣(シャカイナグローリー)で封鎖され、ノアの洪水まで、その状態だったとされています。

人類史上初の殺人事件について(創世記4:1-16)
エバの第一子はカイン、そして、弟としてアベルが誕生しました。アベルは羊飼いになり、カインは農夫になりました。この時には、創造主である神に対する捧げ物をする慣習があったようです。それは、祭壇や幕屋がない時代ですから、エデンの東と呼ばれる所なのかも知れません。アベルは、初子の羊を屠り、信仰を持って捧げました。一方、カインは血が伴わない、地の作物をささげ物として持ってきました。それは、信仰からではなく、義務感からであり、最高のものでも、初穂でもありませんでした。

この場合は、初子の羊で最良のものが、血の犠牲を伴って捧げられるかどうかが大切だったのですね。

カインは、自分の行為を顧みることを拒否して、怒り、アベルを人目につかないところに誘い、殺したのです。アベルは殺されましたが、信仰の人として、ヘブル11:4にも記されています。

これが、最初の「罪」、そして、最初の「殺人事件」のあらましです。

人間は、自ら道を踏み外し、自らを省みず、逆恨みする傾向があります。これぞ「罪」の性質によるものです。しかし、それについても、創造主である神は、アダムとエバに授けて下さった皮の衣ような救済策を用意していて下さるのです。

 

聖書の年代チャート

聖書の核心は人類救済

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