永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

カードゲーム ババ抜きの世界 誰かが得をして、誰かが損をする

ユートピア(理想郷)は、平和的に分かち合う世界で、多くの人のあこがれでもあります。

しかし、その理想に沿って運用するのは実現不可能な人間社会です。

そのような現状をディストピア※(反理想郷・暗黒世界)と表現します。

共産主義の思想は、みんなで共有することができるのであれば、良好な社会が形成されることを期待しますが、今までの歴史を見ると、独裁的な体制を伴うことがほとんどで、特権階級ができてしまうと、富の偏在が起きるという歪んだ状況になっています。

政治体制には、独裁体制でも、民主主義といっても、共産主義といっても、それぞれに功罪があるようです。

人間が理想と掲げても、現実的な運用は、非常に難しいのですね。

ですから、常態化しているのは「富の奪い合い」で、権力闘争です。

ビジネスの世界で、表向きには「win-win」をうたいますが、その実は、顧客の争奪戦です。

出世競争では、頂上に向かって少なくなるイス取りゲームです。

一方、スーパーマーケットの特売タイムセールでは、お買い得品の争奪戦が繰り広げられています。

到底、他人を思いやるゆとりがない人が多い世の中です。

カードゲームでは、「JOKER」が大活躍する「ババ抜き」がシンプルで、多くの人はしたことがあるだろうと思います。

ゲームの上では、「JOKERを最後の引き受けた人が負けだ」となっていますから、それを、隠そうとする心理作戦のやりとりもゲームを楽しむポイントです。

しかし、現実に自分の身の周りで起きていることは、命がけですから、楽しむゆとりはありませんよね。

この現実をどのように受け止めるのか試されているという一面もありますよね。

この構図を理解した上で、自分が得たモノを自分のために使うのか? それとも、誰かのために役立ててもらうのか? を考えるゆとりが持てると良いなあと考えています。

でも、「たかる」とか「たかられる」関係からは、距離を置きたいところですが、善意の行動は、心のゆとりが必要ですし、受け取る側にも「謙虚と感謝」という要素が大切ですね。

このミスマッチが、多くの軋轢を作り出しているのです。悲しい現実です。

ディストピア(英語: dystopia)または逆ユートピア(英語: anti-utopia)は、反理想郷・暗黒世界[1]、またはそのような世界を描いた作品[1]。産業革命後に発達した機械文明の、否定的・反人間的な側面が強調されて描き出された「未来社会」像[2]。典型例は《反自由》的な社会であり、《隠れた独裁や横暴な官僚のシステム》、《性愛制御》などが描かれる[3]。

ディストピアデストピア)の語源は、「悪い、困難な」を意味する「古代ギリシア語: δυσ-」[4]と、「場所、風景」を意味する「古代ギリシア語: τόπος」[5]を組み合わせたものである。また同様に「悪い、不道徳な」を意味する「古代ギリシア語: κακόs」を組み合わせたカコトピア(英語: cacotopia)[6]や、反ユートピア(英語: anti-utopia)、あるいは日本語では暗黒郷[7]、地獄郷などとも言われる。