「生きていていいんだ」と言われても果たして「私は生きていて良いのでしょうか?」という対話があります。
中には、親からのネガティブメッセージが、そうさせている場合があるようです。
「お前なんか生むんじゃ無かった」
「お前だけ幸せになったら許さない」
「お前が男だったら」あるいは「お前が女だったら」
これが、意識の奥底に入っていると、それらに類する状況に接した時に、自身の存在を不安に感じてしまうようです。
そもそも、「私はどうして生まれた」「どうして生きている」との素朴な疑問を持つ人は多いでしょうね。
真剣に考えるからこそ出てくる疑問でしょうね。
生きていても、創造主の意図が理解できない時があります。そんな時にも自身の存在不安を感じる時がありますよね。
創造主が、保護をして、救ってくださるという約束を信じるしかないのですね。
「なんじらの年老いるまで我はかわらず白髪となるまで我なんじらを負わん。我つくりたればもたぐべし。我また負いかつ救わん。(イザヤ46:4)」