永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

とんでもない、そんなことが起こるはずがない

『そのときからイエスは、ご自分がエルサレムに行って、長老たち、祭司長たち、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、三日目によみがえらなければならないことを、弟子たちに示し始められた。すると、ペテロはイエスをわきにお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあなたに起こるはずがありません。」
しかし、イエスは振り向いてペテロに言われた。「下がれ、サタン。あなたは、わたしをつまずかせるものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」(マタイ16:21-23新改訳2017)』

人間の都合は、「そんなこと起きて欲しくない」という気持ちが大きいですね。

人知を越えた自然災害なども、それによって理不尽だと感じる被害に遭う人もいます。

そのような理不尽を体験や、間も当たりにしたくないという気持ちが強ければ、「そんなこと起きて欲しくない」と言ってしまうのでしょうね。

「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、あなたがたの道は、わたしの道と異なるからだ。──【主】のことば──(イザヤ55:8新改訳2017)」

と、ありますから、人には及ばない、創造主である神の理由があるのだろうと、気持ちの整理をするのですが、スッキリしないことも多くなってきましたね。

ペテロが、否定したかったのは、イエス・キリストの死です。

弟子達は、イエス・キリストと共に生きていたから、自分たちを保てていたという要素が大きいかも知れません。

イエス・キリストが殺されるとなると、それが崩れてしまうということでしょうか。

でも、それは、サタンの思いがペテロの口を通じて出てきたとイエス・キリストは指摘しています。

サタンにとっては、「原福音」の成就だけは絶対に避けないと、自分の運命が定まってしまうのですから必死な訳です。

創造主である神のプランは、様々な人の思いやサタンの妨害を交えながら、最善最適なタイミングで成就されるのですね。