永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

復活の前には、死がある。 イースター

『週の初めの日の明け方早く、彼女たちは準備しておいた香料を持って墓に来た。見ると、石が墓からわきに転がされていた。そこで中に入ると、主イエスのからだは見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、見よ、まばゆいばかりの衣を着た人が二人、近くに来た。彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」
彼女たちはイエスのことばを思い出した。
そして墓から戻って、十一人とほかの人たち全員に、これらのことをすべて報告した。それは、マグダラのマリア、ヨハンナ、ヤコブの母マリア、そして彼女たちとともにいた、ほかの女たちであった。彼女たちはこれらのことを使徒たちに話したが、この話はたわごとのように思えたので、使徒たちは彼女たちを信じなかった。しかしペテロは立ち上がり、走って墓に行った。そして、かがんでのぞき込むと、亜麻布だけが見えた。それで、この出来事に驚きながら自分のところに帰った。(ルカ24:1-12新改訳2017)』

復活節(イースター)は、主イエス・キリストが十字架による贖いを完成して復活されたことをお祝いするお祭りです。

その起源となったその日の記述がここの箇所です。

イエス・キリストが十字架に架けられ、死に、葬られたこの墓に、イエス・キリストの肉体はなく、亜麻布だけが残されていました。

み使いが、「ここにはおられません。よみがえられたのです。」と告げ、かつて、ガリラヤで語ったイエス・キリストのことばを繰り返します。「人の子は必ず罪人たちの手に引き渡され、十字架につけられ、三日目によみがえると言われたでしょう。」すると、まず、女性達がその言葉を思い出します。

しかし、男性にこの事実を伝えても、「たわごと」としか思えなかったのですね。

ペテロだけが走って墓に行って、亜麻布だけを見て、驚きながら帰ったのです。

今日の教会でも、女性の信者数が多い傾向があります。女性の方が信心深い傾向は、昔からなのかも知れませんね。

イエス・キリストは、罪人の手で、その人達の罪を背負い、十字架で唯一の生け贄として死に、贖いを完成してくだり、三日目に復活してくださったのです。

これを自分のためだと信じるかどうかで永遠の差が出るのですね。