『キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終りとなられたのである。(ロマ10:4口語訳)』
『では、律法とはいったい何か。律法は、約束を与えられたあの子孫が来られるときまで、違犯を明らかにするために付け加えられたもので、天使たちを通し、仲介者の手を経て制定されたものです。(ガラテヤ3:19新共同訳)』
旧契約と新契約の境界線は、メシアであるイエス・キリストの十字架による死です。その瞬間、神殿の至聖所との手巾ほどの厚さがある隔ての幕が上から裂かれたのです。この印こそ、メシアであるイエス・キリストの命と全血が全人類の贖いとして、受け入れられた瞬間というコトになります。
そして、三日目に復活したことによって、信仰者に永遠の生命の扉が開かれたのです。
バプテスマのヨハネは、メシアであるイエス・キリストの先駆者として、旧契約時代の最後の預言者と評する考え方もあります。
聖書の分類で考えると、各福音書の十字架以前の記事は、旧契約時代というコトです。
それは、メシアであるイエス・キリストが聖霊によってマリアの胎を通り、受肉したイエス・キリストとして、十字架に向かう地上生活をされた記録を見せる必要があったからですね。
キリストが律法の終りとなり、義を確立させたのです。これこそ、前述した十字架上での唯一無二の犠牲としての役割だったのです。
律法は、全時代の流れから考えると、一時的に与えられたもので、それは、メシアの贖いにより終わったということになるのですね。
旧契約時代の人たちは、律法を守ることで、創造主である神に対する信仰を表していました。
でも、律法の最重要な役割は、メシアであるイエス・キリストに対する信仰に導くためだったのです。
それは、人間があらゆる手段を使っても、業による救いが不可能であることを示すためでもありました。
また、犠牲の動物自体が救いの方法では無く、血の犠牲の必要性が認識されることが重要だったのです。
メシアであるイエス・キリストが全血を注ぎ出されたことが、その贖いに不可欠だったことを示しています。