永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

愛をリマインドする 箴言7:2-3 ロマ8:37

『私の命令を守って生きよ。私の教えを、自分の瞳のように守れ。それを自分の指に結び、心の板に書き記せ。 (箴言7:2-3新改訳2017)』

究極の大丈夫を実感できる愛があるとしたら、どんな人生を送れるでしょうね。

日常は、人間社会の中の揺れ動く愛の中で生きていますから、信じられない話でしょうか?

不信は、自分や相手の愛に不安を感じた時に増大します。

そして、やがて修復不可能な亀裂を生み出します。

もちろん、修復が出来て、関係性を維持できるケースも多くありますが、信頼関係が壊れる時は一瞬です。

そうならない為にも、「究極の大丈夫を実感できる愛」を知り、理解しておくことが重要です。

それは、創造主である神が、人間に対して提供しているモノです。

最初の人間アダムの前で約束され、約2000年前にメシアであるイエス・キリストによってなされた十字架による贖いです。

それまで、人間には、動物の犠牲を捧げ続けるしか不安を鎮める方法はなかったのです。でも、それは旧契約で影のような役割で、あくまでも新契約の本体はメシアであるイエス・キリストご自身が犠牲として全人類の罪科を背負う必要があったのです。

その贖いこそ「究極の大丈夫を実感できる愛」の完成だったのです。

これを心に留め、自分の瞳のように守るコトが平安な人生を過ごすコツなのですね。

また、これは、信仰者がこの世で無敵に生きることができるくらい強力なチカラなのです。

しかし、このチカラは、実感するモノで、振り回すモノではないので、取り扱い要注意なのですね。

『しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。 (ロマ8:37新改訳2017)』