永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

シナイ契約のシルシとは? 出エジプト35:1-3

モーセイスラエルの全会衆を集めて、彼らに言った。「これは、【主】が行えと命じられたことである。六日間は仕事をする。しかし、七日目は、 あなたがたにとって【主】の聖なる全き安息である。この日に仕事をする者は、だれでも殺されなければならない。安息日には、あなたがたの住まいのどこであっても、火をたいてはならない。」(出エジプト35:1-3新改訳2017)』

結論から言いますと、イスラエルの民に示されたシナイ契約のシルシは、「安息日」でした。

それは、創世記の最初に記されていることがベースになっています。

創造主である神は、1日目から6日目までで創造の業を成し遂げ、7日目に安息されました。

それに習うように、出エジプト16章で、毎日イスラエルの民に天来の食事(マナ)が与えられる時にも、安息の備えが配慮されていました。

つまり、6日目には、二日分のマナを拾っておくように指示されていて、7日目は何もしなくても心配なく安息できるようになっていたのです。

人間が、この発想をすると、電子レンジが生まれたり、安息日には、「エレベーターが操作しなくても各階にとまるようになっていたり」となるのです。

新契約聖書の福音書には、イエス・キリストがメシアであることを示すために様々なキセキが記されていますが、それと同時に、人間の側の安息日規定が曲解されていることなどを指摘しています。

安息日は、何のワザもしなくてもよいのだから、主の聖なる安息を満喫すればよいのです。

アブラハム契約は、無条件契約ですが、シナイ契約は、イスラエルの民がその契約を遵守することが条件でした。ですから、この安息日を守らないなら、殺されると記されたのです。

現代の信仰者(クリスチャン)は、また違います。律法がメシアであるイエス・キリストの十字架の贖いで完成された時から、安息日に変わり、復活した日曜日が記念日となり、日曜日に礼拝をするようになりました。

しかし、生活背景や文化背景により、週に一度の定期礼拝をすることにより、信仰を保つことが健全とされています。

多くの教会では、日曜日に礼拝をしますが、その時間は、それぞれのコミュニティで異なります。その時間に礼拝に参加することが、熱心の証しとされたり、仕事などで参加できないと非難をされるという時代もありました。(今のあるかも知れませんね。)

生活の多様化により、日曜日に仕事をしなくてならない人が多くいる時代には、月曜礼拝などを設定しているケースもあります。地域によっては、土曜日だったりします。

何らかの都合によって、礼拝に参加できない信仰者を迫害したり、コミュニティから追放したりすることは本末転倒です。

本来は、どのように信仰を育んでいくかを共に考えていくという基本姿勢を大切にする必要があります。

現在では、ライブ礼拝や礼拝の動画配信をしている教会も多くありますから、自分に合うモノで礼拝を献げることも可能な時代です。

各自の信仰の炎を保つために必要な要素が整うことを願い、お祈りしています。