永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

幕屋の幕が裂かれた理由② マタイ27:50-51

『しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、 (マタイ27:50-51新共同訳)』

出エジプトをしたイスラエルの民は、不安を感じていました。奴隷状態の方が慣れていたのですから、先行きに不安を感じる状態はイライラの連続でした。

創造主である神は、イスラエルの民と共にいるために、モーセを通じて、十戒出エジプト20:2-17)を与え、移動可能な幕屋(出エジプト25:-28:)をつくるように命じられたのです。後に、ダビデ王の息子ソロモン王が神殿として建てることになりました。約2000年前の神殿は、ヘロデ王が主導してつくらせたものでした。

創造主である神が、「昼は雲の柱、夜は火の柱(出エジプト13:21)」として、イスラエルの民の中心に居たのです。自分が信じる神が共に居てくれるほど、心強いことはありません。

幕屋(神殿)では、祭司や大祭司によって犠牲の動物が捧げられていました。理由は、人間を清める為には動物の血を必要としたからです。さらに、年に1度、分厚い手巾(約10cm)ほどの幕で仕切られた一番奥の間に、大祭司が契約の箱のフタに血を注ぐ為に入りました。これは、大祭司にとっては命をかけた役目でした。それらも、あくまで旧契約における暫定措置であり、新契約での生け贄本体は、メシアであるイエス・キリストご自身でした。100%神であり、100%人である御子イエスが、自分自身を唯一無二の生け贄として差し出され、また、大祭司として全血を注がれたのです。そのために十字架に架かり、死に、葬られ、三日目に復活されたのです。

これこそ、「愛の極み」です。本当の大丈夫の根拠はここにあります。

ただ信じるだけで、永遠への不安は取り去られ、平安に置き換えられたのです。

また、西暦の分岐点のBCやADはメシアであるイエス・キリストの出現が背景にあります。

創造主である神の意志は、最初から、少しもぶれることなく一貫しています。

それは、『インマヌエル(神、共に居ます)(マタイ1:23)』です。エデンの園でも、出エジプトの途上でも、そのために必要な要素が整えられていました。メシアであるイエス・キリストが肉体に宿られた時には、正に、人間社会の中に共に居られたのです。さらに、肉体の苦悩を味わいながら罪を犯さなかったのです。唯一の義人として過ごし、十字架の贖いを完成されたのです。

今の時代の私たちは、これを受け入れるだけで、神の子(ヨハネ1:12)とされ、永遠の生命(ヨハネ3:16)をいただけるのです。肉体には寿命がつきものですが、魂は永遠の存在です。そのためにも、永遠の生命を獲得しておくことをオススメします。

別な表現をすると、自分のための「永遠の生命保険」ですね。
「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。(エペソ2:8)」
信仰のみで、掛け金も制約もありません。

下記のように心から感謝をして信じればよいのです。

「創造主である神さま。私○○は、創造主である神を認めず、自分のものさしで生きてきました。自分を傷つけ、他人を傷つけてきました。どうかゆるして下さい。私の身代わりに、メシアであるイエス・キリストが十字架によって、私の罪科を完済して下さったことを信じ感謝して受け入れます。主イエス・キリストの御名を通して祈ります。アァメン。」

今まで、陰を見続けてきた人でも、希望の光に向き直り永遠の幸福マインドに生きることができるのです。