『しかし、神の求めるいけにえは打ち砕かれた霊。打ち砕かれ悔いる心を、神よ、あなたは侮られません。(詩篇51:19新共同訳)』
サウル王の次に王になったダビデが、美しい人妻バテシバと不倫関係に陥り、それを預言者ナタンが、神の言葉を携えてきた情景を詩で表現したのが詩篇51篇です。
ダビデは、この他にも、失敗を重ねていますが、そのたびに、神の御前に「打ち砕かれ悔いる心」を表したので、その態度を認められて用いられたのです。
やがて来る、「メシア的王国」では、再び、ダビデ王として務めることになっています。
聖書には、完全、完璧な人として、紹介されているのは、ヨブくらいですね。
そのほかの神の選ばれた人達でも、人間的な失敗は、記されています。
これは、人間の不完全さゆえに、主イエス・キリストの十字架による贖いが必要だったことへと繋がって行くのですね。
ただ、「創造主である神に対する態度」という視点が最も大切なようです。
「打ち砕かれ悔いる心」そして、「主イエス・キリストの十字架による贖いが私のためであったという感謝の心」が、信仰者が義と取り扱われる基本要素なのですね。