永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。(3/4)

人間が失ったのは、地上の管理権と創造主である神との直接的な交わりだったのです。

エデンの園では、創造主である神とアダムが交わる記述があります。
それが、エデンの園を追放されてからは選ばれた人しか交わることができなくなりました。

創造主である神の栄光は、「シャカイナグローリー」と言われ、罪がある状態では、決して見ることができず、その光に触れると、ただちに滅ぼされてしまうからです。

「又、アダムに言いたまいけるは、汝その妻の言を聴きて、我が汝に命じて食らうべからずと言いたる樹の果を食らいしによりて、土は汝のために呪わる、汝は一生のあいだ労苦てそれより食を得ん。土はいばらとあざみとを汝のために生ずべし。汝は野の草を食らうべし。(創世記3:17-19)」

アダムの失敗から人間が苦しみを味わう生活がはじまりました。そのスタート地点に「やがて来るメシアの支払で罪の代価が完了されることと、誘惑したサタンは滅ぼされる(創世記3:15)」ことが宣言されました。

その約束が達成されると人間は、メシアを通じて創造主である神との交わりができると言う事なのです。

さらに、時代はノア、アブラハム・イサク・ヤコブへと続き、イスラエルの民はいつの間にかエジプトの奴隷となってしまいます。

そこから、モーセによって「出エジプト」をし、ヨシュアによって約束の地にたどり着きます。その「出エジプト」の途上で、創造主である神から十戒が与えられ、幕屋を作るように示されました。創造主である神が、昼は雲の柱、夜は火の柱として臨在し、常に民と共にいる(インマヌエル)のを実感できるようにしたのです。

イエス・キリストが降誕する前の旧契約時代、幕屋及び神殿では、人が神に近づくためには動物の犠牲が必要で規定された捧げ物がなされていました。聖所に入れるのは祭司たちで、年に一回、大祭司が犠牲の血を携えて至聖所に入り、契約の箱の上に注ぐという事を繰り返していました。

それは、影のように一時的な事で、あくまでも本体は、イエス・キリストの十字架による犠牲が必要だったのです。

 

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↓2017/12/31公開

裂かれた隔ての幕…その時、永遠の生命保険は完成した。エピローグ