『5:27 彼らが使徒たちを連れて来て最高法院の中に立たせると、大祭司は使徒たちを尋問した。
5:28 「あの名によって教えてはならないと厳しく命じておいたではないか。それなのに、何ということだ。おまえたちはエルサレム中に自分たちの教えを広めてしまった。そして、あの人の血の責任をわれわれに負わせようとしている。」
5:29 しかし、ペテロと使徒たちは答えた。「人に従うより、神に従うべきです。 使徒の働き5:27~29新改訳2017』
16 世紀のヨーロッパで展開された一連のキリスト教改革運動。1517年、ルターが「九十五か条の意見書」を発表し、信仰のよりどころを聖書にのみ求めてローマ教皇の免罪符販売と教会の腐敗とを攻撃したことに始まり、たちまち全ヨーロッパに波及して、多くの紛争をひき起こした(コトバンクより)。
このルターが「ユダヤ人と彼らの嘘について」という反ユダヤ的な論文を書いたという歴史があります。これが、聖書のヘブル的解釈から、さらに遠ざける要因となっていることは非常に残念でなりません。ユダヤ人の先祖がイエス・キリストを十字架で殺した(死に追いやった)という事実をどのよう見るかによって、その真意の理解度も変わります。特に、十字軍による進軍は、その古傷を抉り、感情的なこじれを深め、イスラム世界との摩擦を大きくし、イスラエルを硬直化させることになったのではないでしょうか?
反ユダヤ主義の背景はとてもシンプルです。それは、悪魔(サタン)の感化によるもので、その目的は、創造主である神【主】の御業がイスラエルを通じて行われるので、その民族を皆殺しにすれば阻止できると考えているからです。歴史を見れば、エジプトの圧政、アッシリア捕囚、バビロン捕囚、ペルシャの圧政、ロシアでのポグロム、ナチスドイツのホロコーストなどがありました。しかし、その目論見は、多くの犠牲者を出しましたが、その目的は果たせませんでした。ですから、大患難時代の最後まで、悪魔(サタン)のあがきは続きます。
イエス・キリスト昇天後の状況は、使徒の働きに記されています。それによると、使徒ペテロもパウロも、ユダヤ人がイエスを十字架刑に追い込んだ事実と、それがユダヤ人がどのように受け止めているのかを知った上で、福音を伝えています。それは、サンヘドリンに近い人たちは、「イエス」と呼ぶのを避け、『あの名によって教えてはならない使徒の働き 5:28』と表現します。これは、衝撃的すぎる事実と圧倒的な民衆の支持がナザレのイエスに向かっていることに対する嫉妬を露骨に表現しているのです。そこでペテロは『私たちの父祖の神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、よみがえらせました。使徒の働き 5:30』と十字架の歪曲表現を使っているのです。
これは、『木にかけられた者は神にのろわれた者 申命記 21:23』からの引用と考えられます。ギリシャ語では、『クスロン(木)』が使われていることを考えるとペテロやパウロの配慮が浮かび上がります。
そのショックは、今もなお、ユダヤ教界隈でくすぶり続けていることでしょう。それらから、解放される道筋はできていますから、一人でも多くの人が解放されることを願っています。
創造主である神【主】の選びの民であるイスラエル人たちは、捕囚や離散、流浪の中で聖書に出会い、ユダヤ教の聖書解釈と合わせて、新約聖書を研究するようになり、メシアニックジューと呼ばれるユダヤ人クリスチャンが増やされつつあります。彼らの信仰の歩みは、試練や困難が付き物だったようです。しかし、その一人である、フルクテンバウム博士が『イスラエル論』を論文にしたことから、聖書のヘブル的解釈が進展してきたと、私は考えています。
それは、聖書の舞台がイスラエルであり、登場人物の大半も、筆記者も、イエス・キリスト自身もユダヤ人です。イスラエル、ユダヤ人、イエスがラビたちと対話した内容のヘブル的解釈がわからなければ、旧約聖書からの流れにも理解が及ばないのです。日本において、フルクテンバウム博士のセミナーを推進したハーベストタイムミニストリーズの中川健一師にも敬意を表します。
旧約聖書は、ヘブル語で記されましたが、ギリシャ文化のヘレニストのユダヤ人が増えると70人訳ギリシャ語聖書が翻訳されました。それは、「【主】のみことば」にユダヤ人が親しめるように配慮されたからです。異邦人は、そのおこぼれを頂いていると言われる一面もあります。
言語には文化的背景があり、それは、真意との距離感に課題となっています。