永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

キリストを十字架につけたのは誰か? 使徒の働き2:23、36

『2:23 神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。
2:36 ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」使徒の働き2:23、36新改訳2017』

反ユダヤ主義を煽る背景にある構図を整理してみます。

大きなポイントは、人々がどの様にイエスを見ていたかです。

エスベツレヘムで誕生し、ヨセフとマリアにより育てられました。

この段階では、周囲の人は、少年イエスとして、養い父の仕事を手伝い、兄弟の面倒を見る光景を見ていたことでしょう。

そのような人にとって、神殿で教師の輪に入って論議をする姿(ルカ2:46)を怪訝に感じたのは、母マリアでした。しかし、12才のイエスの中に、すでに備えられた性質は、やがての時を待つことになるのです。

エスは30才の時に、バプテスマのヨハネが授けていた洗礼を受けて公生涯が幕を開けます。

しかし、それは、神性を発揮するのではなく、十字架への道筋、つまり、人間として、肉体のあらゆる試練を漏らさずに受けるためでした。

つまり、結論から言えば、創造主である神【主】の計画は、何よりも人類救済のための贖いだったのです。

それは、使徒の働き2:23に「神が定めた計画と神の予知によって引き渡されたこのイエスを、あなたがたは律法を持たない人々の手によって十字架につけて殺したのです。」と記されている通りです。

でも、それを主導したのは、ユダヤ人たちであり、政治家や宗教指導者であるという一面が際立ってもいます。

別な言い方をすれば、自分たちの特権を失いたくない人たちの「欲」や「嫉妬」による「罪」が根底にあるのです。

さらに、その背景には、サタン(悪魔)の存在があり、その感化は、ユダヤ社会の特権階級の焦りを煽るのに十分でした。

ユダヤ人たちは、イエスを亡き者にすれば、自分たちの目的は果たせたのです。一方、サタン(悪魔)は、イエス過越の祭り以外に亡き者にすることで、人類の救済を無効にしようと企てていたのです。

両者の目的は、一部に重なる部分があったのです。

当時、ローマ帝国の属国であったユダヤ人は、死刑執行の権利を持たず、モーセ律法の外にいる異邦人=ローマ帝国の力を借りてイエスを亡き者にするしか方法がなかったのです。

しかし、それらを見通した創造主である神【主】は、イエスローマ帝国に渡し、十字架刑によって「神の子羊」として、人類の救済を成し遂げたのです。

エスを十字架刑に追いやった群衆は、「十字架から降りろ」とも叫んでいます。それは、サタン(悪魔)が、過越の祭りの犠牲としての神の子羊が屠られることを阻止したかったからです。

支離滅裂な群衆とサタンの行動を客観的に見れば、滑稽に感じますが、自己中心の「罪」の振る舞いがそこにあるのですから、これこそ、人間の「罪」がイエスを十字架刑に至らせた証左になるのだと考えています。