永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

叱責と繁栄の関係 箴言15:10

『15:10 道を捨てる者には厳しい懲らしめがあり、叱責を憎む者は死に至る。箴言15:10新改訳2017』

良い保護者に養育された人は本当に幸せです。

そうは言っても、親も子も人間ですから不完全です。

どちらかが感情的になれば、火に油を注ぐことも多くあります。

大切なのは、「快か不快か」から「善と悪の判断」、そして、「配慮」へと成長を促されるかという難題です。

小さい頃は、「気持ちよい」か「イヤか」の間を行き来しています。

ある程度、成長すると、目の前のことが「善いこと」か「悪いこと」かの判断を促されます。

さらによいのは、適度に「褒められる」という経験です。

「ダメだし」しかしないのは、受け手にとって辛い一面です。

それは、子どもでも、大人でも共通する要素でしょう。

さて、この箴言には、「叱責」と「結果」について記されています。

何に対しての「叱責」なのかを探る必要がありますね。

例えば、山で遭難するケースなどが想定できます。

つまり、「気象状況が悪化するので、これ以上の移動はいのちの危険が伴う」と叱責されたのに、自分の欲が先に出てしまえば、いのちを落とすことになる可能性もあるわけです。

叱責されることは、愛情があるからこそです。

しかし、それを無下にする何かの理由が、その人の中にはあるのでしょうね。

現代社会の歪みは大きく、叱責とは異質のDV的なアプローチもありますから、見極めも大切ですね。

聖書の中には、先人が残した失敗の足跡が記されています。

それらを見ながら、自分への叱責へと置き換えてみる方法もあります。

王の失敗や、預言者の失敗などもあります。

また、お金持ちへの【主】からの警告などもあります。

さらには、放蕩息子と言われる冒険者も記されています。

それらを誰の視点で受けとめていくのかによって、叱責の内容は変わります。

それらを自分の経験値として、整理整頓して積み上げていくことによって、自分自身のレベルアップに繋げられるのですね。