永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

聖霊降臨(ペンテコステ) その時に起きたこと 使徒の働き2:1-21

『2:1 五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
2:2 すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
2:4 すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。
2:5 さて、エルサレムには、敬虔なユダヤ人たちが、天下のあらゆる国々から来て住んでいたが、
2:6 この物音がしたため、大勢の人々が集まって来た。彼らは、それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、呆気にとられてしまった。
2:7 彼らは驚き、不思議に思って言った。「見なさい。話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
2:8 それなのに、私たちそれぞれが生まれた国のことばで話を聞くとは、いったいどうしたことか。
2:9 私たちは、パルティア人、メディア人、エラム人、またメソポタミアユダヤ、カパドキア、ポントスとアジア、
2:10 フリュギアとパンフィリア、エジプト、クレネに近いリビア地方などに住む者、また滞在中のローマ人で、
2:11 ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレタ人とアラビア人もいる。それなのに、あの人たちが、私たちのことばで神の大きなみわざを語るのを聞くとは。」
2:12 人々はみな驚き当惑して、「いったい、これはどうしたことか」と言い合った。
2:13 だが、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言って、嘲る者たちもいた。
2:14 ペテロは十一人とともに立って、声を張り上げ、人々に語りかけた。「ユダヤの皆さん、ならびにエルサレムに住むすべての皆さん、あなたがたにこのことを知っていただきたい。私のことばに耳を傾けていただきたい。
2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように酔っているのではありません。
2:16 これは、預言者ヨエルによって語られたことです。
2:17 『神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。
2:18 その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。
2:19 また、わたしは上は天に不思議を、下は地にしるしを現れさせる。それは血と火と立ち上る煙。
2:20 主の大いなる輝かしい日が来る前に、太陽は闇に、月は血に変わる。
2:21 しかし、主の御名を呼び求める者はみな救われる。』使徒の働き2:1-21新改訳2017』

キリスト教では、イエス・キリストの誕生を祝うクリスマス(メシア預言の成就を祝うのが本質)、神の子羊として十字架刑で贖いを終えたイエス・キリストの復活(イースター)、そして、その後の出来事である聖霊降臨をペンテコステとしてお祝いします。

この聖霊降臨した日は、衝撃的なインパクトでした。

今の時代も、その本質を引き継いでいます。それは、信じた瞬間に起きる聖霊の内住です。

しかし、この時に比べれば、落ち着いた地味なものです。

その様なこともあり、この時の光景を見たいと願う信仰者もいます。その人たちは、多くの人が救われたという瞬間を目撃したいようです。

世の中には、試練困難もありますが、それまで、纏わり付いていたものが外れる瞬間を体験すると、その開放感には大きな感動が生まれるものです。

ただ、その前提として、この時に、何がどうなったのかを冷静に理解しておく必要があると考えています。

「五旬節とは、ギリシア語で 50を意味するペンテコステの訳。モーセによるユダヤ民族のエジプト脱出を記念する「過越祭」から 50日目に行われるユダヤ教の祝日。イエスの復活が過越祭と合致し,聖霊の降臨がそれから 50日目のユダヤ人の祝日に合致したと信じられるところから,聖霊降臨の祝日を五旬節と呼ぶ」

五旬節(ゴジュンセツ)とは? 意味や使い方 - コトバンク

その日、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどり、使徒たちが聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話しはじめました。

過越の祭りから五旬節まで、海外からのユダヤ人巡礼者は滞在していて、彼らが日常使っていた言語で話し始めたのが、ガリラヤ出身の人たちだったので、ビックリ仰天したのです。

その不思議な光景を見ながら、理解できない人の中には、「彼らは新しいぶどう酒に酔っているのだ」と言う人たちもいました。

ペテロは、ヨエル書2:28-32の預言を引用して、これは、その成就であることを説明したのです。

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。」と言う言葉からはじまる部分です。

その中の最重要部分は、時代を越えて共通です。

それは、「主の御名を呼び求める者はみな救われる」です。

いつの時代にも、創造主である神【主】の存在を認め、自分の主として位置づける信仰告白こそ、【主】に受け入れられる信仰者のベースなのですね。

これは、今に限らず、これから来ると預言されている大患難時代の最後の局面でも起きることです。

それは、イスラエルの国家的な悔い改めによる【主】への回帰です。

それを、どこからか目撃できるでしょう。

福音を伝えることが、難しく感じる世の中ですが、コツコツと自分にできる事に励みたいと考えています。

一人の魂の救いが、天に大きな喜びをもたらすのですから。