『1 その後、私は四人の御使いを見た。彼らは地の四隅に立ち、地の四方の風をしっかりと押さえて、地にも海にもどんな木にも吹きつけないようにしていた。2 また私は、もう一人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上って来るのを見た。彼は、地にも海にも害を加えることを許された四人の御使いたちに、大声で叫んだ。3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を加えてはいけない。」 ヨハネの黙示録7:1-3新改訳2017』
「その後、私は…見た。」とあるのは、物事の時間的流れではなく、ヨハネが見た幻の順番を記しています。
この幻は、神の裁きが迫っていることを示唆していて、「地の四方の風」がそれを示し、大嵐が地上を襲おうとしています。
四人の御使いは、「地の四隅(東西南北の位置)」に立っていて、北からも、南からも、東からも、西からも風が吹かないようにしているようです。
その間、神の裁きが起こるのを押しとどめているのです。
天使には、自然界を支配する役割を与えられています。他にも、「火を支配する権威を持った御使い(黙 14:18)」「水をつかさどる御使い(黙 16:5)」などの記述があります。
2節には、「もうひとりの御使い」が登場します。
「日の出るほうから上って来た」とは、東から上って来たという意味です。
「生ける神の印を持って」と記されているのは、おそらく、印章指輪の類いだと推察されます。
その天使は、「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない」と四人の天使たちに大声で叫んで言います。
その内容は、「神のしもべたちの額に印が押」されるまでは、裁きを始めてはならないと言う意味です。
つまり、「額に印を押す」とは、「神の所有権と守り」を示しています。彼らは、大患難の中で守られ、伝道をするために印を押されるのです。
その対象は、14万4千人のユダヤ人です。大患難期における大宣教団です。
ここから、ユダヤ人の民族的な救いへと導かれます。
大患難時代でも、教会時代と同様に、救いの構造は不変で、「信仰と恵み」によって救われます。
大患難時代においても人が救われるのは、聖霊の働きがあるからで、罪人に救いを与えるのは、聖霊なのです。
歴史を振り返ると「ペンテコステ(復活から50日目)の日に聖霊が降臨しました。
そして、近い将来に、聖徒の空中携挙と同時に、聖霊が地から天に上げられるのです。矛盾があるようにも見えるのですが、それでも、聖霊は信仰者と共にあると考えると合点がいきます。
つまり、大患難時代における聖霊の働きは、ペンテコステ以前と同様になるのです。
その理由は、ペンテコステ以前にも人は救われていましたので、大患難時代においても人が救われることは、疑う余地のないことなのです。