永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

貴いものとは? 近松門左衛門

『侍とても尊からず、町人とても卑しからず、尊い物は此胸一つ。 近松門左衛門近松門左衛門全集』(春陽堂)』

肩書き社会の名残を感じる日本社会です。

一流という学校に入り、一流という会社に入り、出世するという、人生のレールに上手く乗っかれば一生安泰というのは、幻想になりつつあるのが、今の時代かも知れません。

その様な背景は、経済状態と教育費が何よりも重要という風潮を生み出しました。

最近の教育費は、一生かけてペイができるのか?疑問を持つくらいに高騰していると聞きます。

良い学校とされる学生で、就職氷河期を迎える就活生は、実に大変なようです。

中には、新卒扱いにしてもらえるように、涙ぐましい手続きをしたり、泣く泣く、専門学校に進学したりしているようです。

江戸時代は、「士農工商」という階級制度がありました。

この名残が、商売は卑しいものというイメージだと感じています。

今でも、セールスマンに向いている人は、そのような風評を気にかけません。その理由は、タップリと成果である利益を得ているからです。

セールスで成功する人は少数派です。だから、かえって美味しい思いもしているようです。

つまり、階級制度に捕らわれている時点で、何かを置き去りにしているようです。

それは、冒頭のフレーズの「尊い物は此胸一つ」という部分でしょうね。

社会の中で生活している人は、「イイ人」が圧倒的に多いです。

詐欺師であっても、「イイ人」の面は持ち合わせています。

ただし、自分にとっての「イイ人」というものさしで見れば、また、違う見え方もすることでしょうね。

近松門左衛門は、「自分自身の存在や尊厳(プライド)を一番に大切にしなさい」と奨めているように感じます。

人の存在価値は、まず、「在る」ことが9割と言っても過言ではないでしょうね。


近松 門左衛門(ちかまつ もんざえもん、承応2年〈1653年〉 - 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉)とは、江戸時代前期から中期にかけての人形浄瑠璃および歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛(すぎもり のぶもり)。平安堂、巣林子(そうりんし)、不移山人(ふいさんじん)と号す。家紋は「丸に一文字」。
来歴
誕生
越前国(現在の福井県)の武士杉森信義の次男として生まれた。母は医師の家系で松平忠昌の侍医であった岡本為竹法眼の娘喜里。幼名は次郎吉、元服後の諱は信盛と称した。兄弟に母を同じくする兄の智義、弟の伊恒がいる。出生地については肥前国唐津山城国長門国萩など諸説あったが、現在は越前とするのが確実とされている[1]。

近松門左衛門 - Wikipedia