永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

焦りを感じるのはなぜだろう?

人生のレースで、自分が周回遅れになっている感覚を持ったとしたら、どのような気持ちになるのでしょうか?

早くゴールにたどり着きたいとか、人よりも少しでも前を歩きたいと感じてる人が焦るのは当然です。

でも、結構マイペースでOKという人もいるのですね。

人間の感覚は実に不思議です。

人生のゴールに向かって、まるで、定められた「すごろく」のように、自分の歩が進まないのは、歯がゆい一面があります。

でも、人生は、十人十色、人それぞれだと考えることができれば、焦る必要がないという理解に至ります。

その理由ですが、人生の「すごろく」なんて、全員が同じ所を通れることはないという現実です。

学齢に達しても、家庭環境や学力によって、どの学校で何を学ぶかで差が出ます。これを優劣評価する考え方もありますが、現実的には、あまり関係ないように考えます。

結婚適齢期とされる年齢で、結婚するのも、結婚しないのも個人の自由です。

結婚しても、子どもを授かるのが当たり前と考える人が多いのには愕然とします。

子どもは、創造主である神【主】からの授かりものであり、預かりものです。尊いいのちですから大切にされる必要があります。

つまり、子どもが授かるのは、当たり前ではないのです。ほんとうに有難い状況なのです。

老齢期にさしかかり、介護が必要になっても、頼りにしていた子どもが、世話をしてくれるとは限りません。

例え、してくれたとしても、それは本当に有難い話なのです。

ただ、子どもや近親者が世話をしてくれない可能性があれば、様々な制度の利用も検討する必要性がありますね。

養子縁組という制度もあります。

親子の場合は、血縁ですから、DNAが似ています。それによる似たもの同士のぶつかり合いも、楽しめる範囲を越えれば、殺し合いに発展する懸念もあります。

本当に、お互いに気持ちが通じ合うのなら、養子縁組という制度は、有効に働く一面があります。

人の状況を見ても嫉妬せず、自分の一歩先を見つめて楽しく歩みたいと考えています。