気づいた人が得られるものは、「一つの宝物」なのかも知れませんね。
世間は、「どうする?」という、正解を求める問いかけに満ちているように感じています。
確かに失敗はしたくないので、「正解」を知りたい気持ちはわかります。
でも、ゴールにたどり着くルートはいくつかはあるので、途中で迷ったとしても、それを楽しめるくらいの心のゆとりが理想的です。
その為の備えとして、気をつけているのは、人生に当たり前は無いと言うことを忘れないようにしています。
別な言葉で言うと、「人生は有難い」ことの連続だと考えています。
「ありがたい」という表現は、自分にとって有利なことを表現するために使われがちですが、その実、有難いという要素をそのまま受け取るには、トレーニングが必要です。
人生には、自分で選べることと選べないことがあります。
選べることを選択するためには、思考や検討も必要です。しかし、思い通りの結果かどうかは分かりません。選択の結果が、かなり、思い描いたことに近づくとうれしいですね。
選べないことは、「運」の要素もあると思いますし、素直に受け容れ難いこともあります。
いずれにしても、何を自分のそばに置くかは、自分で決めれば良いのです。
人生で、何人と関わるかには個人差がありますが、その中には、自分が求めていない出逢いが多くあります。
その出逢いは、実に不思議です。しかし、関係が深まるのは、お互いの同意なので、それほど多くはありません。
それらの中には、人生をより豊かにする出逢いがあるのです。
これに、気づいている人は、人生の幸福度を高めに実感しているのではないでしょうか?
何気なく居合わせるケースでも、さりげなく相手への観察を心がけたいです。
また、人から紹介される場合には、さらに、会話もできますから、相手の心から出る言葉を聞くことができますね。
「袖触れ合うも多生の縁」という言い回しがありますが、出逢いの達人は、交通事故の相手でも、良好な繋がりに発展させると聞きます。
でも、「出逢い」を大切にして、丁寧な対応を心がけると、人生の新しいもう一枚の幕が上がるかも知れませんね。