永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

無数の教訓、正解はどれ? 山本周五郎

『この人生には、無数の教訓がちりばめられている。しかし、どの一つをとってみても、万人にあてはまるものはない。山本周五郎「泣き言はいわない」(新潮社)』

「人生いろいろ」という歌がありました。

色々な人生を過ごしたであろう歌手が歌っていたので、共感性を呼んだのだと思います。

このフレーズでは、人生の中で得られた教訓についての示唆が為されています。

その結論は「万人にあてはまるものはない。」となっています。これに、私は共感します。

何でも無い日常の中に、ほとんど意識しないけれど、多くの教訓があるのですね。

これには、痛みの伴うものや忘れ去られていくモノも含まれていることでしょう。

私が、常々感じていることは、似たような人生はあるけれど、全く同じ人生はないと言うことです。

ですから、同じような経験でも、その度ごとに、どこか何かが違うと考えているのです。

他人の体験だを聞いて共感性があるのも、同じ体験と言うよりも、似た体験だからなのでしょうね。

また、成功者の話を聞いて、羨ましいなあと感じても、同じような再現性は低い現実を感じます。

その話のどこかに、自分が取り組める要素が発見できればラッキーですね。

それをヒントにして、自分ができることをしていくことが大切だと考えています。

このフレーズから、感じる教訓は、自分自身の人生で得られた教訓をできるだけ多く、記憶に刻み、それを生かしていくという要素です。

万人ではなく、自分の人生の体験ですから、自分の人生に寄与することは自明ですね。

その中から、自分なりの正解を感じていきたい。

人生、七転八起の気持ちで楽しみたいと考えています。

 

山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本の小説家[1]。本名:清水 三十六(しみず さとむ)。質店の徒弟、雑誌記者などを経て文壇に登場。庶民の立場から武士の苦衷や市井人の哀感を描いた時代小説、歴史小説など大衆小説で知られ[2]、特に晩年多くの傑作を書いて高く評価された。
周五郎は元々、純文学の作家を目指していた。しかし、デビュー後は劇作や童話、少女小説の執筆を主とし、1932年(昭和7年)に大衆色の強い講談社の雑誌『キング』に「だゝら團兵衛」を発表して以降は大人向けの大衆娯楽雑誌を作品活動の舞台とするようになる[24]。そのため、一般からは大衆小説の作家とみなされ、新進、中堅時代には純文学作家や批評家からはほとんど黙殺された[8]。だが周五郎は純文学と大衆文芸との区別を認めず[25]、「面白いものは面白いし、つまらないものはつまらない」[26]という信念の下、最大多数の読者を対象とする小説を書き続けた[注 7]。

山本周五郎 - Wikipedia