永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

上手い字と良い字 北大路魯山人

『うまい字はたくさんあるが、よい字というものは少ない。 北大路魯山人魯山人書論(中央公論新社)】』

私は個性的な字は書けますが、かなりバランスが崩れた字を書くことが多いです。その理由は、情報量に対して筆記速度が遅いことも影響しているのかも知れません。

また、パソコンで文章を書くことが多いので、漢字が思い出せない傾向が強いです。これには、懸念があります。

お手本のような字を書く人でも、自信がない人がいます。

私から見ると、綺麗な字だと思うのですが、本人は違う感覚を持っているようです。

冒頭のフレーズは、「うまい字」と「よい字」を対比させています。

これを見ると、綺麗な字でも、その人にとっては、「よい字」ではないのでしょうね。

北大路魯山人は、自身も芸術家で、書道家でもあったので、「字」については、語り尽くせないほどの何かがあったのでしょうね。

その境地は、私には理解できませんが、表面的なニュアンスを感じたので、このフレーズを取り上げることにしました。

今の時代でも、北大路魯山人と言えば、鑑定団によく登場するので、認知度が高い芸術家であり、また、美食家です。

彼の五感は、「味わう」という感覚だったかも知れないと想像します。

造形も字も、それが持つ、存在感や味わいという視点で見ていたのでしょうか?

また、「愛でる」という感覚も、人一倍、研ぎ澄まされていたのかも知れませんね。

表現方法は、さまざまありますが、それぞれの手段で、「よい」表現をしていきたいと考えています。

その為には、精進が必要ですね。

 

北大路 魯山人(きたおおじ ろさんじん)、1883年〈明治16年〉3月23日 - 1959年〈昭和34年〉12月21日)は、日本の芸術家。本名は北大路 房次郎(きたおおじ ふさじろう)。
晩年まで、篆刻家、画家[2]、 陶芸家[2]、書道家[2]、漆芸家、料理家・美食家[2]などの様々な顔を持っていた。
(中略)
戦後は経済的に困窮し不遇な生活を過ごすが、1946年(昭和21年)には銀座に自作の直売店「火土火土美房(かどかどびぼう)」を開店し、在日欧米人からも好評を博す。また1951年(昭和26年)に結婚したイサム・ノグチ山口淑子の夫妻を星岡窯に一時寄寓させた。1954年(昭和29年)にロックフェラー財団の招聘で欧米各地で展覧会と講演会が開催され、その際にパブロ・ピカソ、マルク・シャガールを訪問。1955年(昭和30年)には織部焼重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されるも辞退した。

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