永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

友情の価値 武者小路実篤

『友情の価値は両方が独立性を傷つけずにつきあえるという点にあるのだ。武者小路実篤「人生論』(岩波書店)』

いまだに「親友」と「友人」、「知人」などの区別がわからない私です。

でも、他人と向き合う時には、相手を敬う気持ちは大切だと肝に銘じながら、できるだけ対等なアプローチを心がけようとしています。

このフレーズは、友情についての大切な示唆です。

それは、「両方が独立性を傷つけずにつきあえる」という部分に記されています。

つまり、それぞれの独立性を保つというポイントですね。

これは、双方が自立した状態というイメージに、私は理解しています。

ついつい親しくなると馴れ馴れしくなったり、依存関係になることへの警鐘です。

別な言葉で言うと、「お互いにOK」な範囲で付き合うということでしょうね。

長続きする関係性は、この要素がベースにあると考えています。

他人格に対する配慮が大切なのですね。

良好な関係性が深まっていけば、「語らずとも察する」ということもできる範囲が広がります。

そのような繊細なことを、根掘り葉掘り詮索せずに、穏やかに寄り添うこともあるでしょう。

言葉にも詰まるような状況に置かれた時には、自分の事を思って、何も言わずに寄り添ってくれる存在は、とても心強いと感じます。

自分がどちらの立場に立っても、お互いの重荷にならないように心がけたいですね。

そのために大切な事を私は考えています。

それは、もう一人の自分との対話です。自分の影と言った方が良いのかも知れません。同じ人格の中にも、違う想い、違う価値観というモノがあります。それが、もう一人の自分です。

これは、時には最大の味方にもなりますが、時には最大の敵にもあるコトがあります。

この折り合いをつけることが、対人関係を良好にする基本なのだと、私は考えています。

 

武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ、旧字体: 武者小路 實篤、1885年〈明治18年〉5月12日 - 1976年〈昭和51年〉4月9日)は、日本の小説家・詩人・劇作家・画家。貴族院勅選議員。華族の出で、トルストイに傾倒し、『白樺』創刊に参加。天衣無縫の文体で人道主義文学を創造し、「新しき村」を建設して実践運動を行った。伝記や美術論も数多い。
姓の武者小路は本来「むしゃのこうじ」と読むが、実篤は「むしゃこうじ」に読み方を変更した[1]。しかし、一般には「むしゃのこうじ」で普及しており、本人も誤りだと糺すことはなかったという。仲間からは「武者」(ムシャ)の愛称で呼ばれた。文化勲章受章。名誉都民。日本芸術院会員。贈従三位(没時叙位)。

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