永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

自分の自由意志を尊重するマインドを育む 脱カルト 脱洗脳

自由になりたいと考えている人は多いと思います。

でも、「私は自由だ」と心から表現できる人はどれくらいいるのでしょうか?

私自身、あらゆるしがらみから自由でありたいと考えている一人です。

実際には、すべてから自由な訳ではありませんが…。

ただし、心がけていることは、自分の決断で行動するということを意識するようにしています。

もちろん、余り気が進まないことも、時にはありますが、それに取り組む時は、「自分でヤル」と決めてからはじめることにしています。

そうすると、人のせいにできませんから、頼まれたことであっても、自分のこととして主体的に取り組むことになります。

信仰でも、自分で情報を集めて、思考して選別し、信じるというステップを設けています。

それまで、信じてきたことと異なる価値観ならば、柔軟に修正をしていこうと考えています。

もちろん、信仰の核の部分は変わることがないのですが、枝葉の部分は、多様な価値感に触れて、より現実的な路線を選び取って行きたいと言うことです。

最近、多くのメディアでも取り上げられているカルト問題ですが、昨日今日始まったテーマではなく、人間の歴史の中で、くり返し出ていた事象なのでしょうね。

人は真理を求めますが、絶対的な正解にたどり着ける確率は低く、なおさら迷宮に入り込んでしまうこともあります。

その様な時に、次なる探検の旅に出ようと思ってみても、泥沼に足を取られていれば、身動きがとれません。

その泥沼が、カルトやセクト、あるいは洗脳の類いかも知れません。

酷い場合は、それが、ブラックホールのようなすべての財産を吸い取り、希望さえも吸い取るような仕掛けである可能性もあります。

まず、そこにハマらないような自己確立が大切です。

あくまでも、主体は自分です。その尊厳を神でさえ奪わないのです。もし、奪われたとすると拉致監禁の類いであり、犯罪です。

その犯罪行為に、距離を置き、絶対に加担しないように気を付けたいと考えています。

もう一つ、大切な事は、自分が自分にはめている「枠」や「囲い」についてです。「囚われ」とも言いますが、自分は、何に捕らわれやすいかという傾向を客観的に捉えられると、用心ができますね。

カルトなどは、良い装いをして浸透してきますから、特に注意が必要なのです。

エデンの園エバを欺いたサタンも、エバにとっては魅力的な美しい姿だったのでしょうからね。