永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

創造主である神の全能とサタンの限界 出7:8-30

『 ◆アロンの杖
主はモーセとアロンに言われた。「もし、ファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるならば、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になる。」モーセとアロンはファラオのもとに行き、主の命じられたとおりに行った。アロンが自分の杖をファラオとその家臣たちの前に投げると、杖は蛇になった。そこでファラオも賢者や呪術師を召し出した。エジプトの魔術師もまた、秘術を用いて同じことを行った。それぞれ自分の杖を投げると、蛇になったが、アロンの杖は彼らの杖をのみ込んだ。しかし、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。
◆血の災い
主はモーセに言われた。「ファラオの心は頑迷で、民を去らせない。明朝、ファラオのところへ行きなさい。彼は水辺に下りて来る。あなたは蛇になったあの杖を手に持ち、ナイル川の岸辺に立って、彼を待ち受け、彼に言いなさい。ヘブライ人の神、主がわたしをあなたのもとに遣わして、『わたしの民を去らせ、荒れ野でわたしに仕えさせよ』と命じられたのに、あなたは今に至るまで聞き入れない。主はこう言われた。『このことによって、あなたは、わたしが主であることを知る』と。見よ、わたしの手にある杖でナイル川の水を打つと、水は血に変わる。川の魚は死に、川は悪臭を放つ。エジプト人ナイル川の水を飲むのを嫌がるようになる。」主は更にモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を取り、エジプトの水という水の上、河川、水路、池、水たまりの上に手を伸ばし、血に変えなさい』と。エジプトの国中、木や石までも血に浸るであろう。」モーセとアロンは、主の命じられたとおりにした。彼は杖を振り上げて、ファラオとその家臣の前でナイル川の水を打った。川の水はことごとく血に変わり、川の魚は死に、川は悪臭を放ち、エジプト人ナイル川の水を飲めなくなった。こうして、エジプトの国中が血に浸った。ところが、エジプトの魔術師も秘術を用いて同じことを行ったのでファラオの心はかたくなになり、二人の言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。ファラオは王宮に引き返し、このことをも心に留めなかった。エジプト人は皆、飲み水を求めて、ナイル川の周りを掘った。ナイルの水が飲めなくなったからである。
◆蛙の災い
主がナイル川を打たれてから七日たつと、主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行って、彼に言いなさい。主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。もしあなたが去らせることを拒むならば、わたしはあなたの領土全体に蛙の災いを引き起こす。ナイル川に蛙が群がり、あなたの王宮を襲い、寝室に侵入し、寝台に上り、更に家臣や民の家にまで侵入し、かまど、こね鉢にも入り込む。蛙はあなたも民もすべての家臣をも襲うであろう』と。」(出7:8-30新共同訳)』

非常に興味深い箇所なので、長く引用してしまいました。

目に見える所で展開されているシーンは、モーセとファラオの対決です。その周囲には、奴隷にされているイスラエルの民とエジプトの賢者や呪術師たちです。

でも、人間が見えない所では、創造主である神と元天使長ルシファーでサタンになった悪魔との戦いが繰り広げられているのです。

それをあらかじめ見越しての「10の災い」が示されることになったのです。

全能の神からすると、いくら地上の最高権力者として振る舞うファラオであっても、無力化することは可能なのですが、その様にはされませんでした。

最大の目的は、「奴隷状態に置かれていたイスラエルの民をエジプトから解放し」て、「創造主である全能の神を礼拝する民にすること」だったのです。

ファラオの前で、全能の神の命令でモーセが行ったシルシは、エジプトの呪術師たちもよく似た事をマネをすることができました。でも、真似事では対抗できないことを示されたのです。

エジプトで、蛇と言えばコブラを表すそうです。

アロンが持っていた杖を投げ出すと生きたコブラが現れたので、エジプトの呪術師がよく似たことをすると、それらをアロンの杖から登場した生きたコブラが彼らの杖を飲み込んだのです。

また、次にナイル川を赤くしたのですが、エジプトの呪術師も同じようなコトをしたのです。

でも、本当に呪術師が能力があるのなら、ナイル川を赤くするのではなく、元の状態に戻す方が自分たちの能力を示すためには効果的だったのではないかと考えます。

つまり、真似事はできても、全能の神の業はサタンには不可能なのですね。

このようなことは、聖書を見渡すと出てきますね。

ただし、注意したいのは、サタンを過大評価することや過小評価することです。サタンが存在すること、でも、活動できる範囲は、創造主である神の許可の範囲であるということを覚えておきたいですね。

メシアであるイエス・キリストの御名によって、完全な勝利がありますから、その位置に立つことが、信仰者として身を守る最高の手立てなのです。

今日でも、世界中の混乱の背後にサタンが暗躍していることでしょう。

創造主である神の全能の御手によるご加護を祈りつつ。