『◇天上天下唯我独尊 (インドのことば)
「天と地の間において、自らが最も尊い存在である」といった意味にとられ、傍若無人(ぼうじゃくぶじん)
なさまを表しているとされているが、元々の意味としては「天と地の間において、自分という存在はひとりしかいない。だから尊いのである」といったニュアンスをもっているという。発言者も、仏教の開祖である釈迦(ゴータマ・ シッダッタ)とされるのが一般的であるが、本来は毘婆尸仏(びばしぶつ)の言葉だという説も。 天上=一切のことは神の意思である、天下=一切のことは偶然の結果であるということを否定した言葉と解する説もある。』
「自分を大切にする」ということは、「基本のキ」です。
しかし、21世紀の世の中では、利己的と批判される事もあるようです。
優先順序を整理整頓していかないと、「人のために、何かを」と考えても、周囲に振り回されたり、過度のストレスで、体調不良に陥る懸念があります。
自分を大切にして、精神的な自立を果たすコトからはじめると、自分を大切にしながら、できる範囲で相互に援助するなどの社会参加が、無理なくできるようになると考えています。
自分自身は、「個」の存在です。
地域社会は、その「個」の集合体です。
本当の意味で「自信」があることは大切です。
もし、協調性に欠け、周囲から、「あの人は傍若無人だ」と評価される人は、残念ながら、本当の自信が無いので、それを包み隠そうとして、そのような振る舞いになってしまっている可能性が高いですね。
冒頭のフレーズは、「個」にフォーカスをするようにとの示唆だと思います。
それを間違うと「孤立」の「孤」になってしまう懸念があります。
「孤高」が憧れなら、その選択を優先してください。
家族など集団の中での立ち位置は、ある程度の「共感」や「共有」が必要不可欠です。
そのために、自己確立のステップをイメージしてみます。
自分自身の存在をありのまま受容する。
自分自身のできないこと、できること、風貌、資産、環境を自己受容する。
自分自身が、マイナスと感じている部分にフォーカスしてゆるす。
そのスタンスで、日々の生活をおくれるマインドを育む。
隣人に対しても、自分が自分を慈しんだように、慈しみのある接し方をする。
しかし、自他境界線(バウンダリー)は、しっかり引くことです。もちろん、自分自身に対しても、境界線の認識は大切です。
人間は、創造主である神【主】のように完全ではありませんから、それをわきまえながら自信を持って歩むほかないのですね。