永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

人が寄りつく、金も寄りつく人に

人を寄せ付けない孤高の存在の人もいます。

人間には、個の存在を大切にする考え方は、基本で大切にしたいと考えています。

でも、何をもって適当とするのかには個人差が大きいとしても、ある程度のお互いに良好な人間関係は、人生の安らぎと楽しみを広げてくれます。

これには、ニワトリか先か? 卵が先か? のメカニズムの存在するようです。

他人との関係を維持発展させる前の段階ですね。

それは、自分自身の中にあります。

自己一致と言えば良いのでしょうか?

自分の支配的な考え方と、それに異を唱えるもう一人の自分という構図があるのを意識していますか?

それが、客観視できる人はしめたものです。

そのもう一人の自分を受容することによって、心の葛藤は変化を迎えます。

それは、堂々巡りの押し合いへし合いから、有意義なディスカッションへと変わるのです。

どうしてかというと、どちらが正しいかという戦いは血みどろです。それは、サバイバルゲームであり、殺し合いに発展します。

それが、どちらか一方ではなくて、優劣ではなく包括的な視点で、考えられる素地になり得るからなのですね。

このベースがあれば、第三者と向き合っても、殺し合いをすることがなくなります。

その様な関わりは、友好的になりやすいのです。

他人とのご縁を適度な距離感で結びやすくなるのです。

何かを求める関わりもありますが、執着心は、人や金を遠ざけるようです。

あくまでも、自己充足した状態から、相手との関係性を探るのです。

誰とでもというのは、人間にはハードルが高すぎます。

そこまで、求めすぎずに、一人でもOKという気持ちをベースにしながら、対立しない位置を探るのです。

人間は、誰でも、完璧ではありません。

でも、それでも、お付き合いができる人はいるはずです。

また、お互いにOKでなければ、その関係は続きません。

世界中の富が押し寄せてくることは、まずないでしょう。

でも、困らない程度の人とお金に恵まれた人生を目指せるのではないでしょうか。