『17:1 乾いたパンが一切れあって平穏なのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。 箴言17:1新改訳2017』
世の中の圧倒的多数は、平穏を願い、紛争を嫌います。
でも、紛争のタネは、常にばらまかれ、一触即発の状態があちらこちらにあります。
多くの富、豪邸暮らしが、平穏というわけではありません。
この箴言では、何も無くても、例え「乾いたパンが一切れあって平穏」という提示がなされています。
その一切れのパンを分かち合えるほどの平穏は、理想状態なのかも知れません。
「ごちそうと争いに満ちた家」というのは、様々な想像が膨らみます。
経済状態は豊かなのでしょう。
でも、「争い」も豊かな設定です。
最近の富の偏りは、非常に大きいと感じます。
そもそも、どうしたら富が生まれるかというメカニズムも関連しています。
一日の日当を稼ぐ仕事では、富豪にはなれません。タネ銭にどのようにテコをかけて爆発的に増やすかにかかっているという説明があるのですが、普通の神経では、及びにくい領域なのだそうです。
アドレナリン出まくりのイケイケ状態で、望んだ結果、スーパーカーに乗れるというパターンもあるようです。
どのように稼いでも、法律的には大丈夫でしょう。
しかし、倫理的、道義的に何かを問われる領域を残しています。
誰かを踏み台にして、犠牲を強いれば、その反動がかえってくることになります。
それが、家族というケースが多いでしょうね。
豪邸暮らしで、幸せな悠々自適な生活ができれば、素晴らしいです。
しかし、それは長く続かないようです。
その原理は、人間は、ほとんど何もない方が、謙遜でいられるのです。
自分の所有が大きくなれば、気持ちも大きく、自分の意志を最大限、通そうと傲慢になる傾向もあるのです。
この傲慢さが、争いの根っこに養分を与えることになるのです。
財産があっても良し、なくても良し、平穏に暮らしたいですよね。