永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

教えられるよりも教える世話をされるよりも世話をする

『(略)やる気のなかった非行少年たちが最もやる気を出したのは、自分が他の少年たちに教える体験をしたときでした。それまで勉強が苦手で教えられるばかりだった少年たちに、おそらく人生で初めて人前に立ち、答えが分からない他の少年たちに対して解答を教えるといった体験をさせてみました。すると、それまでやる気のなかった少年たちが、教える側になりたいと先を争って前に出てきたのです。
 その姿を見たとき、私は気づきました。教わるより誰かに教える、世話をされるより誰かの世話をする、助けられるより誰かを助ける、といったように、人は誰かの役に立てることに大きな喜びや幸せを感じるのだと。これも他者のストーリーを理解する上で 外せない共通点だと思います。
 法務省管轄の少年鑑別所では大学生向けに職員の募集をしていますが、そのチラシに次のような見出しがありました。
「人を支え、思いやる仕事」
 これを見たときに、何かしら熱いものを感じた学生は少なくないはずです。人はそういった仕事に魅かれるのだと改めて感じました。(略)歪んだ幸せを求める人たち 宮口幸治著p131~132より抜粋』

 医療少年院の職員をしていた経歴を持つ著者の宮口氏は、多くの少年を観察した経験から具体的な課題を提示しています。

 その中で、抜粋した箇所に惹かれる思いがありました。

立場が変わることは、マインドが変わるチャンスです。

相手に対する視点と自分への視点に変化が訪れるのです。

自分には、誰もサポーターがいなかったという感覚は、一面は正解かも知れません。ヤングケアラーなどの社会的な課題が山積しています。現状では、必要なサポートが届いていないという理解も必要です。

ですから、サポーターが、全くいないのではない可能性が高いです。ミスマッチ?

自分がサポーター的な立場に身を置くことで、自分への過去のアプローチを回顧することができるからです。

また、孤独に感じた自分にそっと寄り添ってくれていた誰かを思い出すこともあるでしょう。

さらに、自分が社会に何らかの貢献が出来ているという実感は、自分の存在価値を認め、自己受容をする絶好の機会になるのです。

相手との意思疎通が円滑になれば、それまでとは全く違う人生の展開が訪れるのです。

認知の歪みに気づくきっかけになります。

それは、人間にはそれぞれの認知機能があるのですが、それらは、かなり個性的に歪みがあるのです。

自分自身を観察するには、多少のトレーニングが必要です。

しかし、他人を観察し、反応を感じるという経験が、自分の歪みと比較できるというチャンスになる可能性が高いのです。

それまでは、怒りの導火線が短かったという状況があったとしても、人間は、気づきによって、怒りを良好なエネルギーへと変換できるようになれるのです。

誰しも、その可能性を秘めているのです。

客観的に、冷静に、それを追求していきたいと考えています。