信仰は、その人が信じる対象を仰ぐことです。
その様に考えると、仰ぐ対象との極めて個人的な結びつきがコアになるのです。
これは、救世主を待望する困窮した人にとっては、大きな慰めになることでしょう。
でも、好運な人生を送っている人たちにとって、別な信仰に興味があるので、現状が変更されることに対しての恐怖がついて回ると考えると理解しやすいのではないでしょうか?
人間は、お調子者という一面があります。
これは、人生が順調なときには、感謝をする人が少数派です。
むしろ、当たり前だと思っていたモノを失った後に、あれは、自分にとって有難かったのだと感じられる人が少し増えるのかも知れません。
人生には、努力も好運も大切です。でも、すべての人が、自分の願望を叶えられるわけではありません。
その差は、様々な要素があると思います。
でも、人間の努力でできることは、信じて仰いだなら、その方向に大きな口開けて待っているというマインドでしょうか?
別な表現をすると、受け取れる姿勢、あるいは態勢です。
オオタニサンのホームランボールをゲットするための要素といった方が分かりやすいでしょうか?
信仰に対して、必ず御利益があるとは限りませんが、心の底から求めがあり、それが、御心に適えば与えられるのです。
その時は、突然、やってくるでしょうから、それを受け取れるマインドを備えておく必要があるのですね。
南フランス、エクス=アン=プロヴァンスの貧しい貴族の家に生まれる。生来病弱であったが、18歳[2]で軍隊に入り、少尉となる。風紀の乱れた軍隊にはなじめなかったが、見習士官の少年2人の教育には打ち込んだ。ポーランド継承戦争の際、1733年にイタリアへ出征。オーストリア継承戦争ではボヘミアなどで戦うが、凍傷にかかり、1743年[3]に退役する。その後、外交官を希望するも、天然痘にかかって断念[4]。
1745年、パリに居を定める。ヴォルテールらの友情に支えられ、病苦と貧窮のうちに文学の道を志す。パリでは下層も含め、様々な階級の住民に興味をもち観察した。1746年、『人間精神認識のための序論、種々の問題に関する省察、若き友への忠告、数人の詩人に関する批評的省察、散文作家に関する断章、信仰についての瞑想、祈り、箴言』を出版するが、全く反響はなかった。しかし、その著作中の「種々の問題に関する省察」と「箴言」の部分が『省察と箴言』[5]Réflexions et maximesとして後世高く評価されることになる。1747年、31歳で死去。