永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

富と労苦の結末は? 箴言5:10-11

『10 また、他人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡る。11 そして、あなたの終わりにあなたはうめく。あなたの肉とからだが滅びるとき。 (箴言5:10-11新改訳2017)』

不道徳や快楽に溺れているとどのような結末に至るのかについて、箴言では教訓がくり返し記されています。

ソロモンなどが記した箴言は、それぞれの体験に基づいたもののような説得力があります。

中には、客観的に観察した実例のようなものもありますが、ドキュメントから得た教訓というリアルに迫る内容です。

信仰者で無くても、これを人生の座右の銘として、くり返し読んでいる人もいるようです。

人間の営みは、21世紀の今でも、この箴言の時代とさほど変わっていないように感じます。

それは、教訓が、今でもリアルに感じられて、映像が浮かぶようなストーリーなのですからね。

さて、人生の締めくくりは自分には予測がつきません。

家族が感じている印象もあります。人間ですから、良いことばかりではありません。

一方、周囲の人が、どのような印象を持っているかもありますね。

自己評価を上げようとして、小細工をしても、たいがい、それは露呈します。

でも、その人の温かみは、周囲に伝わっているものですね。

冒頭の聖句は、「自分の…」と思っていた富が、気づいたら他人を満たし、苦労して結実したモノは他人へ渡ってしまうかも知れないと記しています。

それもそのはず、「自分の…」と思ってみても、この世からは持ち出せません。

これから考えても、すべての所有権は【主】にあると考えた方が良さそうです。

人生の終わりは、「うめき」なのか「ほほえみと感謝」なのかをイメージしておきたいですね。

自分が預かったモノを適切に管理し、執着することがないように気をつけたいと考えています。

 

箴言』(しんげん、ヘブライ語:מִישְׁלֵי、 ミシレイ)は、ユダヤ教では「諸書」の1つであり、キリスト教では知恵文学の1つとして『詩篇』の後に置かれる。題名はヴルガータ訳におけるタイトル『Liber Proverbiorum』に由来する。
内容は教訓の集合で、様々な徳や不徳とその結果、日常における知恵や忠告等である。『箴言』中の格言の多くはソロモン王によって作られたとされている。これは、律法に関する五書がモーセの名で呼ばれているように、知恵文学(箴言、コヘレトの言葉、雅歌)はソロモンの名で呼ばれるからである。実際は彼以外にも複数の作者の言葉が収められている。

箴言 - Wikipedia