永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

究極のおもてなし マザー・テレサ

『あなたのところに来るひとをだれ一人、 来る前より幸福もせずに立ち去らせてはいけません。 マザー・テレサ

東京オリンピックの誘致合戦で「お・も・て・な・し」というフレーズが世界に紹介されました。

日本人の心として、「おもてなし」ができていれば嬉しいのですが、達人の領域は、さらに、奥深そうです。

そもそも、「もてなす」ことは、『1 人を取り扱う。待遇する。あしらう。2 心をこめて客の世話をする。饗応する。馳走 (ちそう) する。(デジタル大辞泉)』などの意味があります。

別な言葉で言うと「接待」ですね。

どれだけ山海の珍味をご馳走しても、それが、受け入れられなければ、意味を成しません。

相手の心に届くアプローチであれば、お茶を一杯も出さなくても、良いもてなしになるケースもあります。

マザーテレサのフレーズは、非常にハードルが高いように感じます。人によっては、プレッシャーに感じるでしょうね。

「来る前より幸福」というのは、客人にとってはありがたい話ですね。

それは、相手の実感によるものだとは思うのですが、それを目指して準備をしてお迎えをする習慣ができたとしたら、それを楽しめる心のゆとりもできる可能性があります。

最近は、温泉宿に泊まっても、フロントでチェックインを済ませると、カギを渡されて「ご自由にどうぞ」というパターンのもてなしがあります。客室が広い宿では、あらかじめ布団も敷いてあり、茶菓子もあり、ポットもお湯が沸いている状態もありました。

私は、このパターンが嫌いではありません。でも、昔の方式を懐かしく感じることもあります。

その方式は、仲居さんが部屋に案内してくれて、設備の説明と、お茶を入れてくれるというパターンです。おしゃべり好きの私は、出逢いの場として、心和む一時のように感じるのです。

コスト削減で、人員の削減、客との距離をとる時代では、難しいでしょうけれど、また、どこかでこのパターンを体験したいと考えています。

自分がホストとして、迎えるパターンもシミュレーションしておきたいですね。

 

マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910年8月26日 - 1997年9月5日)、あるいはコルカタの聖テレサ(Saint Teresa of Calcutta)は、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。本名はアルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジ(Agnesa/Antigona Gongea Boiagi)、アルバニア語でアニェゼ/アグネス・ゴンジャ・ボヤジウ(Anjezë/Agnès Gonxha Bojaxhiu)。
「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は彼女の敬愛したリジューのテレーズにちなんだ修道名である。コルカタカルカッタ)で始まったテレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女たちによって全世界に広められている。

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