永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

義憤の乗っ取られる危険性 気がつけばギャフン?

正義感がないのは論外ですが、裁判官が家にいると思われるほどの杓子定規も考え物では無いでしょうか?

ある程度の柔軟性が無いと、人間は、生きづらいですよね。

最近、「大うそ」が流布されていて、権力者の思うように事が運んでいるように感じて、義憤を抱いている人が増えているようです。

かくいう私も、怒りを通り超えて、あきれています。そして、やるせない気持ちを抱えながら過ごしています。

ただし、この民衆の怒りはスゴいパワーですから、為政者は、自分ではない誰かに向けられるように巧妙な策略が展開されているようです。

ウクライナの騒動では、ロシアのプーチンをターゲットにしているのが、西側メディアを牛耳る勢力のしていることです。

プーチンは、全くの善人ではないですが、極悪人でも無いようです。興味がある方は、2014年以降にウクライナの東部で起きていた出来事を調べてみて下さい。

日本でも、まかり通っているウソがあります。それは、ほとんどの国で禁止されている除草剤の成分が、野放しにされているだけでは無く、多くの人の健康を害する状態になっている状況があります。保守勢力がホンモノで、自国や自国民を守る目的が堅持されているのなら、全く逆の動きです。興味があれば調べて下さい。

一人の民間人には、できることは限られています。

ですから、悔しさを噛みしめている現状ではあります。

気をつけなければいけないと考えているのは、怒りに振り回されないと言うことです。

いくら正しいことであっても、感情的になれば、下手をしたら争いになり、血が流れ、いのちが失われるかも知れません。

その方向性だけは、避けたいのです。

また、コストがかからない為政者の手法は、「怒り」を焚き付けることです。

そして、誰かと誰かが衝突するように、騙しながら誘導していくのです。

「その手は桑名の焼き蛤」

自制心を保って、冷静に振る舞うことです。

義憤に駆られて、正義感を貫こうとしても、その結果、生活の基盤を脅かすことになってしまっては元も子もありません。

人生の中には、オーバーな話、命をかけて貫かなければならない正義もありますが、多くの場合、そのケースではないのではないでしょうか?

「正義感」と「怒り」は、癒着すると大変なことになります。ご用心ですね。