永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

教会時代の信仰者はどうなるのか? ヨハネの黙示録4:4

『4 また、御座の周りには二十四の座があった。これらの座には、白い衣をまとい、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老たちが座っていた。 ヨハネの黙示録4:4新改訳2017』

教会時代は、メシアであるイエス・キリスト復活から50日目のペンテコステ聖霊降臨)からはじまりました。

今回は、その間に信仰を持った信仰者たちはどうなるのか? というテーマです。

今の時代の信仰者たちは、寿命を全うすると天に挙げられていきます。

でも、やがてこの地上が終焉の時を迎える時に、いつの時点でどうなるのかについて記しておきたいのです。

ヨハネの黙示録に記された内容では、「教会は患難期の前に天に挙げられる」と考えるのがディスペンセーションの立場です。

冒頭の聖句には、「24人の長老たち」が登場します。この解釈も立場によって諸説あります。

ディスペンセーションでは、「24人の長老たち」は、「天に携挙された教会である」と解釈しています。

24人の長老たちは、「白い衣(罪赦された聖徒たちが着る義の衣)」を着ていました。

彼らは天使的な存在ではなく、「信仰による義人たち」なのです。

 彼らは、勝利者に与えられる冠「ステファノスギリシャ語)(金の冠)」を頭にかぶっていました。

これは、24人の長老たちが褒賞のための裁きを受けたことを示しています。

褒賞のための裁きを受けるのは、聖徒たちだけなのです。

※長老という言葉は、地域教会のリーダーを意味していて、天使を指す用例はありません。24人という人数は、教会全体を指す象徴的数字です。

ヨハネの黙示録1:6では、信者は「祭司の王国」と記しています。でも、人間でなければ祭司になれないので、メシアであるイエス・キリストが人間になる必要があったのですね。

ヨハネの黙示録の2章~3章では、地上の教会について記しています。

そして、ヨハネの黙示録4章~5章にかけては、天における教会が記されていて、ここに記されています。

さらに、患難期について記されているヨハネの黙示録6章~19章には、教会は出てきません。

これらの背景から、「教会は患難期の前に天に挙げられる」と考えています。

つまり、空中携挙の時に、地上に生存している信仰者は、生きたまま天に召し上げられ、その後に、はじまる患難期の苦しみを味わうことが無いのです。

これは、ヨハネの黙示録3:10のフィラデルフィアの教会への約束が成就するのだと考えられます。だから、今の時代に信仰者になっておくのが良いのでしょうね。今のうちがチャンスです。

『10 あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。 ヨハネの黙示録3:10新改訳2017』