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永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

消え去ってしまうモノ 残るモノ

記憶装置の故障などで、デジタルデータも消えることがあります。

手元のPCがクラッシュするリスクに備えてクラウドに保存しておくのも選択肢ではありますが、それでも、絶対ではないですね。

何カ所かに保存しておけば、確率から考えて、全部が消滅してしまうことは考えにくいと言うことに過ぎないわけですね。

人間の記憶は、あやふやな側面もありますが、脳内のどこかに記憶は残り、ある時には甦る不思議なモノですね。

最近は、一人1台以上の携帯電話が使用されているので、写真撮影をしてもいいイベントなどでは、ほとんどの人がシャッターをきるのに夢中になっています。

その中で、じっと目の前の出来事を肉眼で注視しているおばさまがいたのを捉えた写真が印象的でした。周囲の人は写真撮影に夢中になっているのですから、一人だけ目立ったわけですね。

映像データを保存して誰かと共有するのもいいのですが、目の前の出来事を肉眼で自分の脳に刻み込むのもステキな楽しみ方なのだなと感じました。

最近は、写真を撮りながら、自分の目でも楽しむように心がけています。

どこにでいるテロ予備分子

本当に取り締まれるのでしょうか?

共謀罪」などの法制化が、加速しているようです。

治安維持法」なんてものも過去にはあり、その適用を受けた人たちが昭和の時代におりました。

ヒソヒソ話をしただけで逮捕されるとか?そのようなイメージを思い浮かべただけで逮捕されるとか?

テロを未然に防ぐためには手段を選ばないための手法として用いられようとしているのか?

急ぐ理由がよくわかりません。何度も類似の法案は廃案になっていますからね。

歴史を振り返ると、エステルの時代に、ハマンという大臣が、エステルの叔父のモルデカイを架けるために、50キュビトの木を用意したのですが、結果的に用意したハマン自身が架けられることになったという出来事がありました。

国民の幸せを願う権力者ならば、どのような法制度も公正に用いる事が想像できますが、法律さえ遵守しないような権力者であれば、色々な法の乱用が懸念されても致し方がないでしょうね。

国民の心と生活を守る政治を切望します。

メシア的王国ではそのような正解が実現します。それまでに、そのような世の中を見ることができれば幸せですね。

助けを求める相手

「水に溺れる者は藁をもつかむ」

という言葉がありますが、今こそ助けが欲しい時には、手当たり次第に求めますよね。

でも、結果は助かるかどうかもわかりませんね。

有事ではない時の平時にこそ色々なシミュレーションをしておきたいものです。

報道などで典型的な詐欺パターンというものが、繰り返し報じられます。

原野商法と言われるケースでは、まず利用価値が何とも乏しい原野を夢のようなキャッチフレーズで売りまくります。

でも、やがて詐欺であったことが発覚します。

頭を抱えている被害者の所に、弁護士が被害者の会を作りませんか?と現れます。

そのために、一口いくら必要ですと、また、お金を巻き上げます。

同じリストが使われているケースもあるようで、被害者は最低2回は被害を被るようです。

本当の救済に繋がる人や対象に頼らなければ、何度も被害に遭い傷つき、がっかりすることになるのですね。

用心したいものですね。

どこにコストをかけるのがスマートなのでしょう?

和食のメニューは、松竹梅と三種類に分けられた時代がありました。

最近は、かなり少なくなってきたように感じます。

誰が決めたのが、「松」が高級なイメージが強かったですね。

「梅」が一番高級な位置づけしたメニューも見たことがありますが、少数派でしたね。

モノの値段も時代によって大きく変化してきました。

パソコンなどは、数百万していたモノよりも遙かに優れた性能のモノが、数万円で売られている今の時代は衝撃的ですね。

ですから、何かパソコンのトラブルがあり、修理や修復を依頼すると、見積もられてきた金額が、もう一台買えてしまうような金額を提示されることもあるようです。

機械モノは保証はあっても、絶対壊れないモノではありませんよね。

考え方なのですが、性能がよいモノや壊れにくいだろうモノを少し値段を出して選ぶという方法もありますね。

また、画像よりや動画を多用する人などは、処理能力の高い、i5やi7などを少し値段を覚悟して採用してみるのもよい選択肢になるかも知れませんね。

ガミガミ言えなくなったお母さん

ある母親は「中学生の息子の同級生が自死した」と聞いて大変ショックを受けたそうです。

自死した子は、素直で明るくクラス委員をするような子だったそうです。

また、遺書には、感謝の言葉しかなかったというので、自死した理由もわからず親族もやるせない気持ちを抱えているようです。

その子の母は、ガミガミタイプだったそうです。

それを聞いた時から、「息子が元気で生きていてくれるだけでいい」と考えるようにしたと話してくださいました。

萎縮した親心を内包しながら、存在を承認するという親の欲目が削ぎ落とされたようなマインド転換にホッとする気持ちもありました。

生きていくことはサバイバルであり、命がけなのだという部分と、生き続けられることはものすごく有難いコトなのだと感じさせられる内容のお話でした。

自発的にさせていただきたい心境

成長過程で自発的にしたいことと、強制的にさせられることとありますよね。

強制的な感覚を伴う受動的な要素と自発感覚による能動的な要素ですね。

それが、勉強でも、どうしてそれを勉強する必要があるのかが認識できれば、強制されなくても自発的に取り組みますよね。

強制的な感覚しか持てずに、やり過ごしてしまった事柄は、数十年後に、その必要性を認識して後悔するコトになるわけですね。

子や家庭のためにしなければならないことも、認識によっては「家族のためにはこのようにしてあげたい」と考えることもできますよね。

「絶対こう」と形を決めてしまうと後で困ることもあるので「より良くなるためのこんな感じ」みたいな感覚も大切かも知れませんね。

相手のことをイメージして、そのようにしたら喜んでくれるのかを考えている時が至福の時間ということでしょうね。

喜んでくれると思い込んでいたのに、結果が送り手の期待外れでも、めげないしょげないコトが大切ですね。

そして、相手がドン引きしたらスタンスを変える配慮も必要になってくるのでしょうね。

送り手の満足も必要ですが、受け手の許容範囲内でというのがキモのようですね。

やめられないとまらないかっぱえびせん

おいしいとはまってしまうやばい感覚ありますよね。

クセになる食品成分は、どうやら、脂肪分と甘みや塩気の調味料らしいですね。

化学調味料の過剰摂取も脳に影響があるとの研究もなされているようです。

まだ、お菓子などで収まっている内はマシかもしれません。

USAのスーパーマーケットで売られている大きなコカコーラと大きなポテトチップスと体格のよすぎる人などの映像が印象的ですね。日常的に糖分などの過剰摂取が続くと体型のみならず、体調にも影響が及ぶますからね。

依存症は引き寄せられてしまうモノですから、自分にとって大切な方向に引っ付いていくコトが大切ですよね。

本来の意味での自己満足、言い換えれば自己充足で、魔力から遠ざかることができるようになるのですね。

それは、何かを外に求めるよりも、自分の中にある幸せを実感することからはじまるのでしょうね。