永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

遺品整理の世界

テレビでドラマチックに取り上げられている遺品整理ですが、実際は地味な作業だそうです。

中には、特殊清掃などもあるようですが、夜逃げ物件の片付けが多いようですね。

終活セミナーの影響で、生前整理が増えてきているそうですが、ものを処分したのに、空いたスペースにものが増えていたりというパターンもあるようです。

生きている限り、大なり小なりモノとのお付き合いはなくならないので、一軒家でも、一般家庭であれば、50万円あればきれいにしてくれる業者もあるようですので、現金をそれくらい残しておくと、片付けてくれるようですよ。

冠婚葬祭のギフトが包装されたままで残っていると、分別するのに手間がかかり、ゴミの暈も増えるようですね。

必要最低限のモノという基準は、個人差が非常に大きいですから、物量の適正管理は難しいですね。

窓の閉め忘れから、はと屋敷になったというケースもあるようです。出かけるときは閉め忘れに注意したいですね。

最近では、建物の壁の一部に野生の動物が通れる穴があいて、アライグマなどが出入りすることもあるようなので、家の見回りはマメにしておいた方がよいみたいですよ。

大量の梅酒とか処理に手間がかかるとも言っていましたね。

遺品整理屋さんのお話を聞いていて、自分にとっては、お宝でも、他人からすれば、ガラクタかも知れませんから、コレクションもほどほどにしておきたいと感じました。

メシアとは?

メシアとは、ヘブル語で「油塗られたもの(משיח)」という意味です。ギリシャ語では、キリスト(Χριστός)です。ですから、イエス・キリストと表記すれば、イエスはメシアであると告白する事になるのですね。

聖書の中心テーマは、人類救済のために、第二位格であるイエス・キリストが、為したことの提示です。

それは、旧契約が記されている旧約聖書に、メシア預言として記され、メシアを指し示しています。

旧約聖書には、将来出現するメシアに関して、種々の預言があります。

メシアはダビデの子孫から出る。イエスの母マリアは、まさしくダビデの家系に属していた。

メシアはベツレヘムで生まれると予告され、実際に、そこでイエスは誕生した。

メシアは第二神殿が破壊される時点より前に来られることと、紀元32年に判決を受けて非業の死を遂げることが予告されている。実際に、イエスは紀元32年のニサンの月14日に十字架に架けられた。

イザヤは、メシアは処女から誕生すると預言した(イザ7章)。新約聖書には、イェシュア(イエス)は乙女ミリアム(マリア)から生まれたと記されている。

『イザヤは言った。「さあ、聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人々を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
この子は、悪を退けて善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。(イザヤ7:13-15新改訳2017)

メシアは神ご自身のご性質を持ったお方であり、神の体現である。新約聖書では、イエスは「神の御子」と呼ばれており、神と一体であり、神を体現する存在である。

ゼカリヤ9章によれば、メシアはロバに乗ってエルサレムに入城される。

イザヤ35章を始め他の預言書も、メシアは不治の病を治し、目の見えない者の目を開け、ツァラアトに冒された者を清め、耳の聞こえない者の耳を開き、口のきけない者の舌を解き、悪霊を追い出し、死者を生き返らせるお方であると預言している。実際にイエスは、そのような奇跡を行われた。

イザヤ53章と詩篇22篇によれば、メシアはご自分の民に拒否され、辱められ、死へと導かれる。では、異邦人はどうか。この点をヨナ書が明確にしてくれる。ハラハーの教えにあるように、私たちの父祖の神は、イスラエル民族限定の神ではなく、被造物を全て愛し、異邦人さえも愛しておられる神である。

詩編118篇によれば、メシアは家を建てる者たちの捨てた石となるが、神は、それを礎の石とし、この石を通して諸国民を祝福される。イエス時代から今日に至るまで、イスラエルの神を信じるクリスチャンが無数に起こされている。ラビたちのおかげではない。イエスのおかげである。

メシアの死の目的について。詩篇22篇、イザヤ53章、ゼカリヤ12章などによれば、イスラエルの民は、イエスがメシアだと認識できないまま、この方を突き刺し、十字架の死へと追いやる。しかし神は、この状況を用いて、私たちの罪と咎をこの方に負わせる。イエスは、私たちの罪を贖う犠牲のいけにえとして十字架に架けられたのだ。

詳しくはこちらをご覧ください。

harvesttime.tv

ああ、フェラーリが…一瞬で

youtu.be

Ferrari 458 gets crushed」
ムンクの叫びの絵が浮かぶかのような光景です。

まだまだ、使えそうな車ですね。

日本円で約3000万円だそうです。

公道を走るのに適さない車として認定されてしまったそうですが、こうするより仕方が無かったのかは分かりません。

バンクシーの絵が、落札後にシュレッドされたり、目撃している人は、開いた口をふさげない状況ではないでしょうか。

持ち主は、億万長者だそうですから、車を履き物に例えると「サンダル」の一つだったのかも知れません。

3000万円あれば、地方の一戸建て住宅が購入できますね。

お金の使われ方は、それぞれですね。

ベンジャミン・フランクリンの幸福とは?

『幸福とは、めったに起きない大きな幸運が生み出すものではなく、日々の暮らしの中で、ちょっと助けられたことや小さな喜びが積み重なって生まれる』ベンジャミン・フランクリン

幸福を感じることは、人それぞれです。

それは、人によって、何に幸福感を感じるかも違いがありますね。

隕石が落ちてくるような、あまり遭遇しないような幸運が味わえたら幸せと感じている人も多いのかも知れません。

それは、「ない」ものが「ある」となったら幸せという順序ですね。

それも、幸せを感じられる一つだとは思います。

でも、日常の紆余曲折の中で得られた、「ある」物事の積み重ねこそ「幸福」だと指摘しているように感じます。

だとしたら、日常の小さな事と感じてしまっているコトにもっと感度を上げた方が良いのかも知れませんね。

『自由はある日突然なくなるものではない。…』by宮澤喜一

『自由はある日突然なくなるものではない。それは目立たない形で徐々に蝕まれ、気がついたときにはすべてが失われている。』宮澤喜一(新・護憲宣言)より

内閣総理大臣自由民主党総裁を務めた宮澤喜一さんの言葉です。

戦時下の日々をふり返り、生活困窮よりも、自由と批判への圧迫の方が印象が強かったようです。

「ゆで蛙」のように、ぬるま湯に入っていたら、気づかない間にゆでられていたという感じでしょうね。

この状況は、世界中で起こっています。

大人しい国民性の国ほど、強権が振るわれやすく、国民が奴隷のような位置に置かれてしまうのですね。

宮澤喜一さんは、今日の日本をどのようにお感じになるでしょうか?

「言ったとおりになってしまったな。」と嘆かれるかも知れませんね。

ただし、例え、手足を縛られても、「心は自由」ということを肝に銘じておきたいものです。

レット・イット・スノー

雪国では、雪が降ってもパーティーをしますよね。

ただし、嵐でなければですが。

「レット・イット・スノー」は、パーティーをしていたら、雪がジャンジャン降ってきて、でも、中にいる限り関係ないって感じで、雪よもっと降れという楽しい歌詞です。

「お休みのキスをしてしまったけれど、この嵐の中を帰りたくない。」なんて、まるで、ずっと一緒にいたいから、雪よもっと降れと言っているように聞こえます。

親しい間柄で過ごす楽しい時間は、至福の時ですから、いつまでもこの楽しさが、ぬくもりが続いて欲しいと思う気持ちはよくわかります。

デンマークでは「HYGGE」という言葉があり、自分が安心して過ごせるコミュニティを大切にしているそうです。

そういう人たちは、「外で嵐が吹き荒れていたらもっとHYGGEじゃない?」なんて言うそうです。

そのギャップが大きければ、HYGGEの価値が高まるそうです。

そのフレーズを見たときに、「レット・イット・スノー」を連想しました。

人は、ぬくもりとか温かさを実感していると、少々の試練にも耐えられるのですね。

ドン・キホーテの従者サンチョ

ドン・キホーテというお話をご存じですか?

騎士になることに憧れたアロンソ・キハーノがドン・キホーテ・デ・ラマンチャと名乗り、近所の農民のサンチョ・パンサを島の領主にしてやるとだましてお供させ、冒険の旅に出るのです。

ドン・キホーテが乗る馬は"ロシナンテ"、サンチョが乗るのは"灰色のロバ"。

サンチョは、優しい性格のようで、「ただの"ロバ"だなんて呼びたくないので"灰色のロバ"と呼ぶことにしてますだ」と言ったりします。

ドン・キホーテは、荒唐無稽なチャレンジをしながら、ある公爵夫人とであい、その縁で、サンチョに約束していた約束を果たすのです。

そして、サンチョに島の領主の心得を「天に感謝し、神を敬い。己を知れ。」と説くのです。

サンチョは、一時、領主として楽しい時を過ごしますが、やがて、その時も終焉を迎えます。

そこに、待っていたのは"灰色のロバ"、サンチョはロバを抱きしめ、その額に口づけし、目に涙を浮かべながら「もっとこっちにおいで、おらと苦しみを分かち合った友よ。お前と一緒にいたとき、おらはいつも幸せだった。…」

そして、「…おらも島の領主だった頃は楽しかったけれど、今、悲しくなんかねえ」とも表現しています。

農民も従者も領主も体験したサンチョですが、苦楽を共にした"灰色のロバ"と一緒にいる時が一番だったと感じているようです。

滑稽であったり、ひょうきんであったり、平均的な振る舞いからは、かけ離れているので好奇の目で見られますが、結構、わが身に当てはめてみると思い当たることもあったりして、身につまされますね。

自分にとって、身近にある大切なコトにフォーカスしていきたいですね。