永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

忍耐にも段階がある

「…患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。(ロマ5:3-4)」

「試練」は「宝」とセットになって提供されているようです。

「試練」はネガティブに感じてしまうことが多いですが、その中身には、大切な「宝」が詰まっていて、それを探し当てるために、探検しているのですね。

そのために必要な要素が「忍耐」ですね。

ただ、試練の嵐をやり過ごすだけではなく、その意味を考えると「練達」という経験値を積み上げていくことができていくのです。

そして、それは希望につながっているというのですからね。

経験値を積み上げながら、引き出しを整理整頓し、必要な時に蓄積した情報にアクセスできるように、来たるべきその時に備えたいですね。

凍てついた車のフロントガラスを一瞬で溶かすスプレー

日本で気温が一番低いとされているこの季節、車のフロントガラスが凍てついて困っている人いませんか?

市販の「解氷スプレー」なども売られていますが、水 1/3 と 消毒用アルコール 2/3があれば、手持ちのスプレーボトルに入れると、同じようなものになるようです。

「フロントガラス用凍結防止シート」なんて言うモノもあるようなので、屋外駐車の時には、活用できるかも知れませんね。

また、ウオッシャー液の原液をスプレーするという方法もあるようです。

寒い凍るような朝はスピードも出せませんから、いつもよりも、時間を有効に使いたいですからね。

1000円以内でできる対策なら、なおさら備えておきたいものです。

以前は、やかんでお湯を沸かしてかけて解かすという方法が主流でしたが、極寒の地域では、また水分が凍ってしまうという現象がありました。

また、お湯の温度にもよるのでしょうが、ガラスにヒビが入ることもあるようですのでご用心ですね。

安全第一

柔軟になっていく段階

youtu.be

息子頭が金属のパイプの間に挟まり抜け出せなくなったとしたら、親としたらパニックになりますよね。

そんな顛末を収録した動画です。

頭を突っ込んだのですから抜こうと考えるのが一般的ですね。

その通りに展開していきます。しかし、奇跡的にはまり込んだ頭は一向にはずれません。

その次には、人の助けを借りて、挟んでいるパイプの間を広げて抜こうとします。

それでも、抜けません。

そんな格闘をすること2時間。

ふと、あることに気づきます。

挟まっている息子の肩の方向を変えて通過させるという、それまでの頭を抜く思い込みからの発想の転換です。

肩を通過させたら、息子はスルリと解放されました。

人間は、思い込みがあるので、信念を持って生きていけるのですが、時には、その思い込みが物事の解決とは逆になっていることもあるのですね。

そんな時には、柔軟に発想の転換ができるようになりたいですね。

「これじゃなきゃ」から「あれか? これか?」そして、「あれか? これか? それ以外でもOK」みたいな感じで、選択肢の巾が広がるのがいいですよね。

イタリア人の驚き三段階

「ブラボー」は、オペラなどの公演の時に、演者を賞賛するかけ声としても認知度は高いですね。

日本製の掃除グッズで、イタリアの家庭の掃除をするというテレビ番組を見ていたのですが、そのときに、少なくとも三段階の驚きの表現がありましたので、芸術の本場イタリアの表現力の豊かさに感服をしました。

忙しい母親を手伝いたいと小学生の男の子が掃除に奮闘していました。

洗面所の水垢が取れると、まず「ブラボー」と叫んでいました。

水道の蛇口が、本来の輝きを取り戻すと「ファンタスティコ」と言っていました。

そして、予想もつかない工夫があると「マンマミーア」と。

「マンマミーア」は、ミュージカルのタイトルとしても有名ですが、「まあ、なんてことなの?」というニュアンスの驚きの表現のようですね。

沖縄でいう「あきさみよう」みたいな感じかもしれません。

日本語の標準語で言うと驚きの表現は「スゴい」とかでしょうか。

最近は、「やばい」「これ、ちょーやばいんだけど」なんてなるのかも。

自分の語彙の少なさに恥じ入るばかりですが、表現力豊かになりたいです。

カネと地位はあとから

限られている、いのちの時間ですが、優先順位をどのように選択していくかは、考えどころですね。

105歳で、召天された日野原重明医師は、いのちの授業の中で、聴診器を用いて心臓の鼓動を聞かせて、「時を刻む、それぞれが与えられた天寿の時間だ。それをどのように使うかをよく考えましょう。」と、熱弁をふるっていらっしゃいました。

ご自身も、寝る間を惜しんで、高齢であってもパワフルに、執筆や講演活動に励まれていました。それが、日野原重明医師が選択した、いのちの時間の使い方だったのでしょうね。

一人一人、得意なこと、才能や能力が異なるので、それぞれの体験から道が開かれて行くのでしょうね。

時には、「清水の舞台から飛び降りる」覚悟のチャレンジをすることもあるかも知れません。

しかし、自分のこと、パートナーのこと、家族のこと、コミュニティーのことなど、現実を踏まえて、身の丈に合った貢献が土台になりますよね。

優先順位を考えながら、これらとチャレンジを組み合わせて、地道に活動し、ゆとりが出てくれば、さらに、活動範囲が広くなっていくのでしょうね。

中には、自分よりも適任者が現れて、直接、手を出さなくても良くなるかも知れません。

自分や周囲の人と気持ちの折り合いをつけながら、よりよい信頼関係が構築できればステキですね。

いきなり、カネや地位を目指そうとすると、土台が無い建物のようになってしまい、本当は大切な人から総スカンをもらってしまうこともあるかも知れないので、要注意ですね。

大丈夫!! と思える何かが、、

「我等この宝を土の器にもてり、これ優れて大いなる能力の我等より出ずして、神より出づることの顕れんためなり。われら四方より艱難を受くれども窮せず、せん方つくれども希望を失わず…イエスの生命の我らの死ぬべき肉体にあらわれん為なり…外なる人はやぶるれども、内なる人は日々新たなり。…見えるものは暫時にして、見えぬものは永遠に至るなり。(コリント第二4:7-18)」

「大丈夫!!」「大丈夫!!」と呪文のように唱えても、どこか、空虚な気持ちが残ると浮き足だった状況になってしまうかも知れませんね。

「○○だから大丈夫!!」という根拠を持つことを信仰と言います。

使徒パウロは、それを「宝」と表現していました。

「外なる人」つまり、肉体は日々衰えを感じたとしても、「内なる人」霊体は毎日、新しいエネルギーの供給を受けて、更新されていくのです。

そして、その霊体(霊的生命)は永遠へと繋がっているのですね。

肉体的生命では「見えるもの」が重視されます。

もちろん、それは命をつないでいくためには必要不可欠なものなのですが、もう一つ大切な要素として、「見えぬものは永遠に至る…」という視点です。

永遠へと繋がっていく確信こそ、「○○だから大丈夫!!」の根拠なのですね。

生きていていい

「生きていていいんだ」と言われても果たして「私は生きていて良いのでしょうか?」という対話があります。

中には、親からのネガティブメッセージが、そうさせている場合があるようです。

「お前なんか生むんじゃ無かった」

「お前だけ幸せになったら許さない」

「お前が男だったら」あるいは「お前が女だったら」

これが、意識の奥底に入っていると、それらに類する状況に接した時に、自身の存在を不安に感じてしまうようです。

そもそも、「私はどうして生まれた」「どうして生きている」との素朴な疑問を持つ人は多いでしょうね。

真剣に考えるからこそ出てくる疑問でしょうね。

生きていても、創造主の意図が理解できない時があります。そんな時にも自身の存在不安を感じる時がありますよね。

創造主が、保護をして、救ってくださるという約束を信じるしかないのですね。

「なんじらの年老いるまで我はかわらず白髪となるまで我なんじらを負わん。我つくりたればもたぐべし。我また負いかつ救わん。(イザヤ46:4)」