永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

賢い人と愚かな人

『賢い人は知識を隠し、愚かな者は自分の愚かさを言いふらす。(箴12:23【新改訳2017】)』

「能ある鷹は爪を隠す」といいます。

聡明な人は、むやみやたらと、知識をひけらかさないようですね。

一方、自分を大きく、よりよく見せたい人の傾向は、借りた物や、ムリな借金をしてまでも、高級外車を乗り回してみたりするのが定番ですね。

でも、本当の聡明さを見抜く人も多いのでしょうね。

着ている物でも、数百万円のものを纏っていても、言動に違和感を覚えれば警戒センサーが発動しますからね。

「語るに落ちる」という言い回しもあります。

自分を賢く見せようとして、無駄に多くを語ることによって、かえって浅はかさを暴露してしまうということですね。

気をつけたいテーマですね。

超バランス感覚

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トリニダードトバコの光景だそうです。

小さな子どもの時から、高い竹馬にのる訓練をするのだそうです。

一緒にトレーニングをした仲間は「竹馬の友」ですね。

「これでもか」というくらいの高さの竹馬で、にわかには信じられない動きをしています。

ケガに怯える大人には、挑戦を拒否したい人が多いでしょうね。私もその一人です。

でも、これが乗りこなせると、見える景色も大きく変わることでしょうね。

今の気づきが自分の明日を築く

「ハッ」とした時に、メモをとる人、即行動をする人いますね。

全く「ハッ」ともしない人、どんとしていて動じない人もいます。

この地球上には、様々な変化が常におきていて、自分が気づくと感謝できたり、配慮できたりすることがあります。

でも、気づくことができなければ、それらのチャンスをフイにしてしまうこともありますよね。

「感動」という言葉がありますが、「何かに感じて」、「心が動く」という理解をすれば、その次に、「身体も動く」のが自然ですね。

「気づき」には大きな個人差があります。

誰が、一番早く気づくか?

そして、気づいた人がどのように配慮できるかによって状況は大きく変わるのですね。

今まで経験したことの無い気象変化がたびたびおきる昨今、何かの気づきを明日のために活かしたいですね。

違和感が差別にならないために

「みにくいあひるのこ」というお話があります。

ヒルの巣に生まれ出た白鳥の雛が、外見が違うことで、いじめられて途方に暮れ、やがて、白鳥の群れに合流するという童話です。

白鳥と言えば、鳥の中でも美しいとされるのですが、アヒルの中では違和感が強かったのでしょうかね。

まあ、このように、人間の世界でも、肌の色や、生まれ育ちや、貧富の差によって、選別されて差別を受けることもしばしばありますね。

創造主である神からすれば、「いのち」の一つ一つはオリジナルな存在ですから、違いがあって当たり前なのです。

しかし、狭い範囲でしか生きていない人間にとっては、肌の色が違う人や言語によるコミュニケーションができない人が近寄ってくると、縄張り意識からでしょうか?、恐怖心が先に立って、排除したくなるのでしょうね。

多くの場合、人の意識は「違和感」が「恐怖心」に流れるのですね。

「違和感」から「違いの理解」をして、「どう違うのか?」「どうすれば通じるのか?」という、発想ができるようになりたいですね。

永遠に揺らぐことがない

『正しい人は永遠に揺るがされることがない。しかし、悪しき者は地に住むことができない。(箴言10:30新改訳聖書2017)』

「正しい」というのは、思い込みではなく、創造主である神が何を持って「義」とするか否かの基準が示されています。

『しかし、人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。(ガラ 2:16新改訳聖書2017)』

『こうして、私たちは信仰によって義と認められたので、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。(ロマ 5:1新改訳聖書2017)』

「キリストを信じることによって義」とされるのですね。

そして、「信仰によって義…私たちの主イエス・キリストによって、神との平和」を獲得することができるのです。

どうして、主イエス・キリストによってなのか?

御子イエス・キリストは、全人類の罪科を背負い十字架上で唯一の贖いの生贄となったからです。

「死に」「葬られ」「三日目に復活」されたのです。

つまり、主イエス・キリストが、贖いを完成し、永遠への扉を開いてくださったのです。

ですから、信仰者は義(正しい者)とされ、「永遠に揺るがされることがない」のですね。

肉体的生命に生きていても、永遠の幸福マインドに生きられるのです。

「十人十色」と頭ではわかっているけれど

「血液型で性格がわかる」などという、シンプルな分類があります。

でも、大まかな分類に過ぎません。一人一人、十分個性的ですね。

顔かたち、体格など似ている人は多くいますが、どこか違うのでしょうね。

DNA(遺伝子情報)のレベルでは、親子でも似ているけれども違うのだそうですね。

指紋も一人一人違っていて、同じ指紋はないのだそうです。

創造主である神によって、最初の人間であるアダムが創造されました。次に、エバが造られて、そこから、いのちが増え広がっていったのですね。

ですから、今の一人一人もアダムとエバのDNAを引き継いでいるのです。

「星の数を定めて、一つ一つに名前をつけた」創造主である神は、増え広がる数をご存知で、十分なパターンを備えているのでしょう。

二つと無いオリジナルな存在に対して敬意を払って接する気持ちは大切なのですね。

世の中には、個性的すぎて、対応が難しいパターンもありますけれどね。

「ありがとう」と「すみません」が

「ありがとう」と「ごめんなさい」が適切に使えたらよい人生がおくれると聞いたことがあります。

コミュニケーションで、これほど大切なメッセージはないのでしょうね。

「有り難い」ことに対する感謝と、自分が至らなかったことへの謝罪が、時と場合にピッタリ合っているかどうかが、課題なのですね。

最近良く耳にするのは、「ありがとう」という意味で「すみません」と言っている光景です。

もちろん、これには、「こんな有り難いことをしてもらって申し訳ない」という気持ちが入っているのでしょうね。

それは、理解しているつもりなのですが、何か違和感も感じてしまうのです。

一説には、「日本人が援助を受けた時に、肯定的な感情が強いほど、同時に否定的感情が強くなる」のだそうです。

それで、「ありがとう」と「すみません」が同時に出てくるようですね。

参考文献 子どもは善悪をどのように理解するのか?道徳性発達の探求(長谷川真里 著)