永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

動画 野球が大好きだった痕跡 オオタニサンもびっくり?

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ブロート一家のように。彼らは昨年末、ボイシ・ベンチにミッドセンチュリー・モダンの家を購入した。それはフィクサーアッパー(中古住宅)なので、自分たちのものにするためには作業が必要であることは分かっていた。
リノベーションを始めて3週間ほど経った頃、彼らは寝室の壁から板を剥がし始めた。
「クリエイティブなアイデアだと思うのですが、外壁の帯板は濃い緑色に塗られていました」とメリッサは言う。
しかし壁から剥がし始めると、その下から1600枚近いレトロな野球カードが見つかった。
「私は驚き、ショックを受け、混乱しました。板を引き剥がし続けるまで、自分が何を見ているのかわからなかった」。
これらのカードは、以前この家を所有していたクリス・ネルソンのものだった。
クリスは、1980年代後半のある時点で、グレッグ・マダックス、ウィリー・ヘルナンデス、ジム・アッカーズ、デイブ・リベリング、ジャック・ラゾルコ、トム・ナイデンフアー、ボブ・ホーナーなど、1万から1万5千枚の野球カードをコレクションしていたという。
私たちはちょうどこれらのカードを持っていて、私の母は、"まあ、なぜ私たちはこれをしないのですか "というようなものでした。「それで週末に野球カードを壁に貼り付けたんだ。
そのカードは約5年間、彼の部屋の中心的存在だった。
そして、その壁を板で覆うことにした。

コレクターの話は、実に奥深いと感じます。

お宝のハズなのに、どうしてそこに保存するのか? ナゾだらけです。

この動画のケースの場合は、壁一面に飾られていたという訳です。

寝室という説明がありますが、それならば、そこに貼ることによって、夜な夜な充実した気持ちになり、良い夢を見ながら、上質な睡眠を得ていたのかも知れませんね。

コレクションは、いつも身近において、愉しみたいものですが、あまりにも高価になると、レプリカにすり替えるなどして、本物のお宝は金庫にしまってしまいたくなるかも知れませんよね。

自分にとっての価値と、金銭的価値をどのように捉えていくのか? がテーマですね。

掛け軸に描かれた絵などは、良い紙を使っても、原価とすれば、数万円もしないと言う事になります。

しかし、それを評価する人が、どのような価値を見出すかによって、芸術的な価値や金銭的な価値が決められていくのでしょうね。

お宝鑑定団で、ニセモノと判定されても、その人にとっての思い出や、価値観が評価するところに従えば良いのです。

人間の五感では、真偽のほどを判定するのは難しいのではないでしょうか?

でも、自分にとってなじむ何かと、幸せに生きていく選択は大切だと感じます。

ふって湧いたお宝騒動の落ち着きどころが気になる所です。

学問は単なる技能ではない 橋本左内

『学問とは、人として踏み行うべき正しい筋道を修行することであって、技能に習熱するだけのものでは、決してない 橋本左内『啓発録』(講談社)』

そもそも、教育とは何か?

そのような問いが、各時代でなされています。

学校での義務教育をはじめ、その後の人生で、役に立つ技術を習得する専門性の高い内容を学ぶ学校まで存在します。

人生の正解があるとすれば、その「解」に向けて、テンプレートをなぞっていけば良いのでしょう。

しかし、結果的に、「自分の人生はこれで良かった」と思える人がどれ程いるかです。

恐らく、ごく少数派のように感じます。

世界を見回せば、ライフスタイルは様々です。

「原住民」と言われたら、どんなイメージが浮かぶでしょうか? 私の場合は、腰蓑を蒔いて、ヤリを手にマンモスを追いかけるようなイメージです。きっと、「はじめ人間ゴン」という昭和の漫画の影響でしょうね。

「原住民」とは、現地に住んでいる人という意味だけなのに、不思議なことだと考えています。

でも、世界的に、近代化が進んでいく流れができて、生活の様式も大きく様変わりしました。

その過程で、古い時代遅れなスタイルという考え方を植え込まれている可能性を感じます。

便利で衛生的な生活がなされることは、悪いことでは無く、良いことだと思います。

その生活の様式が変わることで、自然環境や生体がダメージを受けているとすれば、本末転倒ですけれどね。

「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えろ」という教訓があります。これは、技術支援の基本だと言われます。魚を買ってくれるお客さんではなく、魚を釣る漁師さんを育てるイメージですね。

今流に言うと、「弁当や惣菜を売るよりも、それをつくれるように教育しましょう」という事ですね。ライフスタイルの多様化によって、時短も大切なので、それぞれのスタイルを否定するつもりはありません。コストを抑えるのなら自炊に優位性があるということです。

冒頭のフレーズに話を戻すと、「技能に習熱する」が、ゴールではないという事ですね。

学問の基本は「人として踏み行うべき正しい筋道を修行すること」だと解かれています。

人生の基本姿勢として、どの様な局面でも大切だと感じます。

QOL」という表現があります。これは、「クオリティー・オブ・ライフ」の略で、今は、医療や介護で使われることが多いのかも知れません。

「人生の質」という意味です。お金と縁が無いと考える人は、お金があれば幸せだとイメージしがちです。でも、実際にはそんなことはないようです。お金は色々なコトを引き連れて来るようで、マネージメントができないと、それに振り回されるようです。

自分自身が居心地が良いと感じるところをつくれる能力が大切なのだと考えています。

反省しても落ち込まないマインドを維持したい

「反省の色は何色や?」と詰問していた先生がいたとの話題が中学時代にありました。

その当時、SNSがあれば、バズるネタだったのかも知れませんね。

「白」とか「真っ黒」とかの大喜利合戦になる可能性もあるでしょう。

それは、さておき、反省とは?

① 自己の過去の言動についての可否、善悪などを考えること。自分の行為をかえりみること。
※新聞雑誌‐二五号・明治四年(1871)一二月「而して奉仕する者最も反省(ハンセイ)すべきことならずや」
② 心理学などで、単に外的事物を認知するだけでなく、すでにもっている経験・知覚・観念の関係に注意し、問題の解決を求めて思考すること。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

一般的な使われ方は、誰かを責めるときに、「反省しろ」と迫ったりします。自分に不利益が生じたので、その気持ちがおさまるような態度をとるようにとの促しかも知れません。

親が子に対して、先生が教え子に対して、などの状況がイメージしやすいです。

辞書によると、「自己の過去の行動について考える」とあります。

また、「自分の行為をかえりみる」ともあります。

自分がした行為についてはイメージしやすいですね。自分の気持ち、相手の気持ち、そのバランスを客観的に判断すれば良いわけです。

でも、自己の過去については、それよりも距離を感じます。人間には、取り返しのつかない黒歴史もあり、自分自身は、そこに触れたくない意識があるからです。

身体反応が出るような衝撃的な出来事もあるでしょう。それは、自分のマインドが落ち着いているときに取り組めると良いのですが、下手にそこに手を突っ込むと影響が大きくなることもありますからご用心です。

「心理学などで、単に外的事物を認知するだけでなく、すでにもっている経験・知覚・観念の関係に注意し、問題の解決を求めて思考すること」と記されているのは、高度な反省のように感じます。

「問題解決」をするのは、たやすくないことが多いと認識しています。

それは、自分自身だけでは解決しない事が多いからです。

自分自身で解決できるにしても、そこには、もう一人の自分という存在もありますからね。

当事者意識を大切にしながら、客観的な視点で、冷静に、過去をニレ噛む(反芻)ように,味わいなおすというイメージでしょうか?

でも、反省は情報の整理整頓がメインだと考えています。

もちろん、その中で、自分自身で軌道修正できる点を見つけて実行するという点も含まれます。でも、それで、落ち込む必要は無いですよね。

黒歴史を認知して、「今ココ」から将来への旅を続ければ良いのですからね。

叱責は有難く受けとめる 箴言25:12

『25:12 知恵をもって叱責する者は、聞く者の耳にとって金の耳輪、黄金の飾り。箴言25:12新改訳2017』

言い難いことを表現するのは、非常に難易度が高いです。

ある程度の年齢になると、アドバイスをしてくれる人がいなくなります。

時代背景も手伝ってか、貝のように口をつぐむ人が増えているように感じます。それも、防衛本能の表れでしょうか。

この箴言は、「知恵をもって叱責する者」という有難い存在がある前提ではじまります。

自分にとってのメンターのような存在がある人は、それだけで、優位性が高い位置にいると感じます。

そうでなければ、何をもって、有益な情報だとするかという課題があります。

例えば、自分にとって、耳が痛い言葉というものがありませんか?

または、心にチクチクくる言葉なども、その類いでしょうね。

それらは、自分にとって、大切な叱責の要素を含んでいるのかも知れません。

人間には、五感の中に、痛みを感じるスポットの痛点が点在しています。

これは、自分の身を守るために必要なセンサーとして備えられているものです。

それは、耳にも心にも存在するようです。

どうも、それが、自分にとってのウイークポイントなのでしょうね。

そのツボを刺激するのが、叱責というもののようです。

これを有益に生かせば、「聞く者の耳にとって金の耳輪、黄金の飾り」になると記されているのです。

時には、ショッキングな事もあるでしょうけれど、それを生かすマインドも大切なのですね。

このマインドは、どのように醸成していくのかが課題ですね。

人間は、創造主である神【主】が与えてくださった信仰による義の衣を着せられているという原点に立つ必要があります。

しかし、人間は、不完全で有限な肉体的生命に生かされています。

このギャップが、自分自身をいらつかせるのでしょう。

でも、究極的には「義の衣」を着せられているというイメージをもって自分自身の存在を落ち着かせる事ができるのです。

その状態からならば、この有難い叱責を受けとめるマインドになれるのではないでしょうか?

人間は、肉体的生命を離れる瞬間まで成長できるそうですから、生かされている限り学びがあるのですね。

芸術家と技術家の共同作業 萩原朔太郎

『音楽の演奏者や、劇の俳優たちは技術家である。彼らは芸術家ではない。なぜといつて彼らは真の「創作」を持つてゐないぢやないか。 萩原朔太郎『新しき欲情』(東京創元社)』

音楽の演奏会や劇場での公演などエンターテインメントが、数多くなされています。

権利関係の塊とも言われるコンテンツは、多くの人の能力や努力の結晶と表現しても過言ではないでしょう。

この萩原朔太郎のフレーズには、ハッとさせられましたので、取り上げることにしました。

ここで言われている「芸術家」は、創作をしたアーティストを意味しています。

つまり、芸術家とは、原作のオリジナルを生み出した人を指しているのですね。

そこに、萩原朔太郎は線を引いています。

そして、表現者を技術家と区別しています。

確かに、オリジナルを加工しながら、どのように表現していくかにおいては、さらなる創作過程もないと、進んでいかないですね。

でも、それも含めて、表現技術という括り方をしているのです。

技術や技巧というのは、機械加工という生産技術とはイコールではないように思います。

ある工業高校では、「技術と精神(こころ)」という文字が校歌に歌われるほど大切にされていました。

技術は、心を伴わないと、意味が無いというニュアンスを感じます。

また、技術や技巧は、テクニックも必要ですが、そこに、感情表現をどのように加えるかという創造性もあるのです。

このフレーズに異議を唱える人もいるかも知れませんね。

演者は、演者で芸術的なワザを磨いていますので、同じセリフや同じ歌を歌っても、観客に伝わるものが違うはずです。

そもそも、芸術には絶対的な正解がありませんから、演出家やスポンサーが求める範囲と、お金を払う観客が満足する範囲を探る必要もあります。

でも、それは、興行的な計算です。

それらは、オリジナル作家の思いとは、だんだん乖離していくこともあるようです。

どのように売るかによって、興行収入も大きく変わるのですから、悩ましい話ですね。

芸術と技術の両面を楽しめるコンテンツを期待したいです。


萩原 朔太郎(はぎわら さくたろう、1886年明治19年)11月1日 - 1942年(昭和17年)5月11日)は、日本の詩人、評論家。大正時代に近代詩の新しい地平を拓き「日本近代詩の父」と称される。

ja.wikipedia.org

自分の軸足を確認する習慣を

人気者になりすぎるのも考えモノです。

引っ張りダコなどと言いますが、タコでも足は8本です。人間は、それよりも少ないですが、状況が分かりやすい形容ですね。

まず、自分の身の置き所を再確認する必要性を感じています。

そして、自分の軸足の置き所を正位置に戻す必要がありますね。

人間は、無意識のうちに、前のめりになったり、のけぞったりして、身体のバランスを崩しがちです。

自分だけでも、そうなるのですから、人からのプレッシャーを感じると余計にバランスを崩す要因になります。

今、話題のオオタニサンは、ご結婚をされたそうですね。

いやー、誠にめでたいと思います。ウワサにある健康的な女性であれば、オオタニサンも益々、これからのご活躍を期待したいところです。

そのオオタニサンの強みは、バッティングの対応力なのだそうです。

フルカウント近くまで、粘る姿勢もスゴいと感じていますが、それよりも、コンマ何秒以下の微妙なアジャストができる事が最大の強みのようです。

あのタマを撃たれたら、投手もお手上げという場面が多くあるようです。

打者は、10打席のうちに3回ヒットを打つと3割打者と言われて評価が上がるのです。

投手は、それ以下に、打ち取らないと評価されません。

投手にとっての方が厳しいのが、野球の世界なのかも知れませんね。

さて、オオタニサンの爪のアカを多少いただくとして、自分ができるアジャストを研究してみようと思います。

それは、人と対峙したときの対応力についてです。

対話は、キャッチボールのようなものとも言われます。

相手に対して、直球で柔らかいボールを投げるのか? それとも、ズバッと挑むのか?

自分の側のスタンスを選択する余地があります。

また、相手から来るタマが、どうであれば、どう対応するのか?

自分が選べる選択肢の中から、その時々に、最良なモノを選んでいく習慣を身につけていきたいと考えています。

もちろん、ベストなんて分かりませんので、より良い(ベター)所から、コツコツと積み重ねていきたいモノです。

探し求める人は見つける エレミヤ29:13

『29:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。エレミヤ29:13新改訳2017』

人間は、「永遠のいのち」を探し続けていると記しています。

でも、シンプルに考えれば、それは、創造主である神【主】が、その源なのです。

冒頭の聖句には、そのヒントが記されているのです。

「あなたがたがわたしを」とあるのは、一義的には、イスラエルの民に対しての呼びかけです。広い意味で考えれば、【主】を探し求める気持ちがある人、つまり、信仰者、または、求道者と言うことになります。

「捜し求める」とは、あらゆる手段を通じて、捜索するようなニュアンスを感じます。尋ね歩くようなイメージでしょうか?

また、「心を尽くしてわたしを求める」というのは、わき目や目先で追うのではなく、心からその思いを注ぎだして求めるという熱量をはかられているようです。

それは、ひとかけらの金塊を探すようなものでしょうか?

一攫千金を夢見た時代の話を伝え聞きます。

いのちをかけて、金を探し求めた人、もう少しの所で力尽きた人、その続きを掘って夢を現実にした人など、様々なドキュメントドラマがあります。

その時に、遺されたビンテージのジーンズがオークションにかけられたとも聞きます。

でも、それらは、地上の富に対する命懸けの探検です。

人間の我力には限界があります。精も根も尽き果て、徒労感さえ漂います。

思わず、ごろんと芝生の上に身を投げ出して、天を見上げた瞬間に何かの発見があるのかも知れませんね。

万物の源である創造主である神【主】は、偏在といって、どこにでも存在されます。

つまり、どこにいても、【主】はそばにいるという事です。

その事実を感じられるか? が、重要なポイントのようです。

創造主である神【主】は、小さな空間に押し込まれているような小さな存在ではないのです。

常に、そばにいて、平安と祝福を共有してくださる備えを用意してくださっているのです。

それを感じるためには、【主】に対する信仰の目が必要です。

信仰の視力が大切なのですね。

リンク集

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キーワード 空中携挙 エゼキエル戦争 和平契約 第三神殿 ハルマゲドンの戦い 再臨のメシアは誰? イスラエルの運命は?

今から終末時代に起きること補筆版

大患難時代の聖書的基礎知識① 預言と獣の刻印(666)の回避方法

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大患難時代の聖書的基礎知識② 大患難時代の前半 七つの封印の巻物 七つのラッパ

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大患難時代の聖書的基礎知識③ 大患難時代の後半 第七のラッパ 七つの鉢の裁き ハルマゲドンの戦い

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ハルマゲドンの戦いについてリンク

ハルマゲドンの戦い① イズレエルの谷に反キリスト同盟軍集結 ヨハネの黙示録16:12-16

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/09/10/000000

ハルマゲドンの戦い② 政治的・経済的バビロンが滅亡 イザヤ13:1-5

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/09/17/000000

ハルマゲドンの戦い③ エルサレムが陥落する ゼカリヤ12:2-3、14:1-2

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/09/24/000000

ハルマゲドンの戦い④ ボツラに押しかける反キリスト勢 ヨハネの黙示録12:6-17

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ハルマゲドンの戦い⑤ イスラエルの国家的新生 エレミヤ3:12-18、ホセア5:15

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ハルマゲドンの戦い⑥ メシアの再臨 イザヤ34:1-7

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ハルマゲドンの戦い⑦ ヨシャパテの谷へ追い込まれる反キリスト勢 ヨエル3:12-13

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ハルマゲドンの戦い⑧ 勝利の後にオリーブ山に立つメシア ゼカリヤ14:3-5

https://howtogetfree.hatenablog.com/entry/2023/10/29/000000

【主】のめぐみプロジェクトは、下記から

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