『28:11 三か月後、私たちは、この島で冬を越していたアレクサンドリアの船で出発した。その船首にはディオスクロイの飾りが付いていた。
28:12 私たちはシラクサに寄港して、三日間そこに滞在し、
28:13 そこから錨を上げて、レギオンに達した。一日たつと南風が吹き始めたので、二日目にはプテオリに入港した。
28:14 その町で、私たちは兄弟たちを見つけ、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマにやって来た。
28:15 ローマからは、私たちのことを聞いた兄弟たちが、アピイ・フォルムとトレス・タベルネまで、私たちを迎えに来てくれた。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられた。
28:16 私たちがローマに入ったとき、パウロは、監視の兵士が付いてはいたが、一人で生活することを許された。
28:17 三日後、パウロはユダヤ人のおもだった人たちを呼び集めた。そして、彼らが集まったとき、こう言った。「兄弟たち。私は、民に対しても先祖の慣習に対しても、何一つ背くことはしていないにもかかわらず、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡されました。
28:18 彼らは私を取り調べましたが、私に死に値する罪が何もなかったので、釈放しようと思いました。
28:19 ところが、ユダヤ人たちが反対したため、私は仕方なくカエサルに上訴しました。自分の同胞を訴えようとしたわけではありません。
28:20 そういうわけで、私はあなたがたに会ってお話ししたいと願ったのです。私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです。」
28:21 すると、彼らはパウロに言った。「私たちは、あなたについて、ユダヤから何の通知も受け取っていません。また、ここに来た兄弟たちのだれかが、あなたについて何か悪いことを告げたり、話したりしたこともありません。
28:22 私たちは、あなたが考えておられることを、あなたから聞くのがよいと思っています。この宗派について、いたるところで反対があるということを、私たちは耳にしていますから。」
28:23 そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた。
28:24 ある人たちは彼が語ることを受け入れたが、ほかの人たちは信じようとしなかった。
28:25 互いの意見が一致しないまま彼らが帰ろうとしたので、パウロは一言、次のように言った。「まさしく聖霊が、預言者イザヤを通して、あなたがたの先祖に語られたとおりです。
28:26 『この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。
28:27 この民の心は鈍くなり、耳は遠くなり、目は閉じているからである。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返ることもないように。そして、わたしが癒やすこともないように。』
28:28 ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らが聞き従うことになります。」
28:29 【本節欠如】
28:30 パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、
28:31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。 使徒の働き28:11-31新改訳2017』
パウロのローマでの奉仕について
11~16節は、マルタからローマへの移動について記されています。
「三か月後」とは、マルタ島で3ヶ月間、公開が可能になる春を待ったのです。おそらく、2月中旬頃でしょう。百人隊長は、マルタ島で冬を過ごしていたアレキサンドリアを母港とする穀物船を予約することができたのです。マルタ島からローマまでは、まだ335キロもあるのです。
「船首にはディオスクロイの飾り」とは、航海の守護神とされていたもので、カストルとポルックスという双子のギリシア神話の神を指しています。ローマ時代の地中海には、「ディオスクロイ(デオスクロイ)」を船首に飾った船が多かったようです。この表現は、皮肉(アイロニー)です。使徒の働きの筆記者であるルカは、真の守護神が誰なのかを思い起こさせるために書いたのだと推察できます。
マルタ島を出帆してからは、シラクサ(シチリア島の東岸にある大いに栄えた港町)に3日間留まり、レギオン(イタリア半島のつま先に位置する港町)を経て、プテオリ(ポテオリ)(さらに360キロ北。イタリア半島のすねの部分に位置する港町)に立ち寄ります。ほとんどの船が、ここで船荷を降ろしていました。
このプテオリ(ポテオリ)には、教会があり、パウロは、兄弟たちのもてなしを受け、彼らのところに7日間滞在したのです。
「こうして、私たちはローマにやって来た。」とありますが、ここからローマまでは、まだ200キロもあるのです。ルカは、ローマに着いたという感慨を持ったのでしょう。
パウロ到着の知らせは、ローマまで伝わり、ローマの信者たちは、アッピア街道を50キロ以上も下って、トレス・タベルネまで出迎えに来たのです。余力のある人たちは、さらに15キロ下って、アピイ・フォルム(アピオ・ポロ)まで来たのです。
パウロは初めてローマのクリスチャンたちと会ったのです。しかし、3年前に、パウロはローマ人への手紙を書き送っていました。ローマの信者たちからの歓迎を受け、パウロは創造主である神【主】に感謝し、また、大いに勇気づけられたのです。
マルタ島からローマまでは、約3週間の旅であったと思われます。このパウロのローマ到着は、イエスの勝利の入城に似ています。このように、福音は、ユダヤ、サマリア、地の果て(ローマ)までも届けられたのです。異邦人のための使徒パウロは、ローマ帝国の首都で福音を伝えるようになりました。
ローマ市民であるパウロは、丁寧な扱いを受けました。自費で借りた家に一人で住むことが許され、また、護衛とも言える番兵が付けられたのです。
17~22節は、ユダヤ人たちとの最初の会談について記されています。
「三日後」に、パウロは直ちにユダヤ人たちとの対話を開始しました。当時のローマには、1万人~5万人とも言われる相当数のユダヤ人がいたようです。パウロは、ユダヤ人の指導者たちを自分の家に呼び集めました。おそらく、自分から会堂に行くことができなかったのでしょう。また、招く前に、彼らがパウロに敵対的でないことを確かめたことが考えられます。もし、エルサレムのユダヤ人のように敵対的なら、危険な状態になるからです。
ユダヤ人たちを招いた目的は、まずユダヤ人に福音を伝えようとしたのです。これは、パウロが採用した伝道の原則です。次に、自分がローマに来た理由を説明しようとしました。誤解を生む前に、自ら主導権を取って動いたのです。
17~20節は、使徒22~26章で起こったことの要約で、長い物語ですが、ルカはその要点をまとめているのです。
使徒22~26章の要点は、パウロは律法に背いていないのに、エルサレムで囚人としてローマ人の手に渡され、ローマ人が自分を取り調べ、無罪なので釈放しようとしたけれど、ユダヤ人たちが反対したので、自分はやむなくカイザルに上訴したのですが、パウロは、同胞を訴えようとしたのではないと言うことです。パウロは、イスラエルの望みのためにこの鎖につながれていると説明したのです。
ローマのユダヤ人たちは、パウロのことについてはよく知らなかったというのは不思議です。エルサレムとローマのユダヤ人たちは、頻繁に交流していたので、ローマのユダヤ人たちがパウロのことを知らないというのは、奇跡のような話です。このことから、ローマのユダヤ人たちは、意図的に「この道」について論じることを避けていた可能性も考えられます。彼らには、ローマからユダヤ人が追放されたという記憶が残っているからです。
23~29節は、ユダヤ人たちとの2度目の会談について記されています。
「彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た」とあるように、後日、より多くのユダヤ人たちがパウロの家に来て、パウロは、朝から晩まで語り続けたのです。
パウロのメッセージの内容は、「神の国のこと(メシア的王国のこと)を証し」し、ヘブル語聖書に基づいて、イエスがメシアであると、「モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと」したのです。
それを聞いたユダヤ人たちの反応は、「ある人々は、信じた。」のですが、「ある人々は、信じようとしなかった。」のです。
別れ際に、パウロはイザヤ6:9~10を引用しました。
『6:9 すると主は言われた。「行って、この民に告げよ。『聞き続けよ。だが悟るな。見続けよ。だが知るな』と。
6:10 この民の心を肥え鈍らせ、その耳を遠くし、その目を固く閉ざせ。彼らがその目で見ることも、耳で聞くことも、心で悟ることも、立ち返って癒やされることもないように。」 イザヤ6:9~10新改訳2017』
イザヤの時代、ユダヤ人たちは信じませんでした。また、パウロの時代でも、ユダヤ人たちは信じませんでした。今の時代でも、ユダヤ人たちの大半が信じようとしないのです。
これが使徒の働きのクライマックスです。ユダヤ人は福音を拒否し、福音は、異邦人に届けられるようになるのです。
29節は、底本に節が欠けています。新共同訳の脚注による一節です。『パウロがこのようなことを語ったところ、ユダヤ人たちは大いに論じ合いながら帰って行った。使徒の働き28:29(新共同訳)』
30~31節異邦人伝道について記されています。
パウロが無罪であることは、公に認識されていたようで、彼は、丸2年の間、護衛付きで、快適に暮らすことができたのです。
ローマの官憲による妨げは、全くなく、パウロは、大胆に、神の国を宣べ伝え、イエスが約束のメシアであることを教えたのです。
◆使徒の働きの執筆プランが、使徒の働き1:8に記されています。
『1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」 使徒の働き1:8新改訳2017』
福音伝達は、エルサレムから始まり、ペテロを中心とした使徒たちの伝道によって、福音はユダヤに広まりました。ピリポの伝道によって、福音はサマリアに広まったのです。さらに、パウロの伝道によって、福音は地の果てまで広まることになりました。
◆使徒の働きの結末は、使徒の働き28:30~31に記されています。
これが、7つの教会成長レポートの最後です。
①使徒の働き2:47 ②使徒の働き6:7 ③使徒の働き9:31 ④使徒の働き12:24 ⑤使徒の働き16:5 ⑥使徒の働き19:20 ⑦使徒の働き28:30~31
◆神の国について
『1:3 イエスは苦しみを受けた後、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。四十日にわたって彼らに現れ、神の国のことを語られた。 使徒の働き1:3新改訳2017』
『1:6 そこで使徒たちは、一緒に集まったとき、イエスに尋ねた。「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」 使徒の働き1:6新改訳2017』
『28:23 そこで彼らは日を定めて、さらに大勢でパウロの宿にやって来た。パウロは、神の国のことを証しし、モーセの律法と預言者たちの書からイエスについて彼らを説得しようと、朝から晩まで説明を続けた。 使徒の働き28:23新改訳2017』
『28:31 少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。 使徒の働き28:31新改訳2017』
神の国とは、メシア的王国(千年王国)のことを指しています。地上に文字通り千年王国が成就するという、ヘブル的希望なのです。パウロは、この希望を語ったので、捕えられたのです。
◆今も続くキリストの御業について
使徒の働きのエンディングは、教会建設の業が継続していることを示しています。普遍的教会の建設は、キリストの御業です。
そのために、キリストは、使徒たちや一般の弟子たち、ペテロ(前半)やパウロ(後半)という人間を用いるのです。
パウロの生涯は、献身したひとりの人間が、どれほどのことを為すことができるかを教えているのです。