永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

ペリクスへのメッセージ 使徒の働き24:24-27

『24:24 数日後、フェリクスはユダヤ人である妻ドルシラとともにやって来て、パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。
24:25 しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と言った。
24:26 また同時に、フェリクスにはパウロから金をもらいたい下心があったので、何度もパウロを呼び出して語り合った。
24:27 二年が過ぎ、ポルキウス・フェストゥスがフェリクスの後任になった。しかし、フェリクスはユダヤ人たちの機嫌を取ろうとして、パウロを監禁したままにしておいた。 使徒の働き24:24-27新改訳2017』

あらすじ
ユダヤ総督ペリクスの前でパウロの裁判が行われました。パウロに対するユダヤ人たちの訴えがあり、それに対するパウロの弁明がなされ、ペリクスの応答があり、結局、ペリクスは、判断を先延ばしにしたのです。ペリクスは、パウロの「死者の復活こそ主要なテーマであることを示した」話に興味を持ったようで、何度もパウロから話を聞くことになるのです。パウロは、ペリクスへの伝道をしています。

24節で、ペリクスとドルシラは、パウロから話を聞いています。
特に、「この道」に興味を示しました。当時のユダヤ教指導者たちは、自分たちの立場を守るために、キリスト・イエスを信じる信仰を、「この道」と呼び、区別していました。この表現は、キリスト教という言葉よりも、本質を突いた言葉です。

※死者の復活を信じているパリサイ派は、イエス・キリストをメシア受け入れる事で、創造主である神【主】の御前に受け入れられる立場になれるのです。「この道」との差は、僅かに見えますが、永遠の開きになるのです。

カイザリヤで、近くに幽閉されているパウロは、直接話を聞くためには好都合でした。時折、彼らは、パウロを呼び出したのです(これは、正式な裁判ではない)。恐らく妻ドルシラがパウロから話を聞くことを希望したのだと推察できます。

ペリクスの結婚歴について、このドルシラは、ペリクスの3番目の妻です。ペリクスは、自らの地位を上げるために結婚を利用していたのです。ドルシラは、シリアの小国エメサの王アジザスの妻でした。ペリクスは、16歳の彼女を誘惑して離婚させ、自分の妻にしたのです。この当時、ドルシラは、ペリクスと結婚し、20歳前後になっていたでしょう。

ドルシラの家系について、「ユダヤ人である妻ドルシラ」とあるが、厳密にはイドマヤ人(イスラエル人とエドム人の混血)です。彼女は、ヘロデ・アグリッパⅠ世の末娘でした。マリアンネ、ベルニケ、ドルシラの順番です。ドルシラは、ヘロデ・アグリッパⅡ世の妹でもあるのです。

ヘロデ家の人々の罪を挙げてみましょう。
ドルシラの兄のヘロデ・アグリッパⅡ世は、パウロを裁きました(使徒の働き26章)。ドルシラの父ヘロデ・アグリッパⅠ世は、ヤコブを殺し、ペテロを投獄しました(使徒の働き12:1~3)。ドルシラの大叔父ヘロデ・アンティパスはバプテスマのヨハネを殺しました(マタイ14:10~11)。ドルシラの曾祖父ヘロデ大王は、ベツレヘムの2歳以下の子どもを殺しました(マタイ2:16)。

25節で、パウロは、福音を伝えています。
パウロは、3つのことを論じました。「正義とは、神の義と聖さの水準であること」、「節制のなさとは、人の罪の深さであること」、「やがて来る審判とは、死後の審判のこと」の三要点です。

節制のなさについて、放縦な生活に関しては、ペリクスとドルシラ夫婦が第一人者でした。ペリクスの政治と結婚は、不義に満ちていたからです。

また、主イエスの血潮によって罪の赦しを得ていなければ、火の池で苦しむという最重要なテーマです。

パウロの的を射た要点は、ペリクスの心に刺さり、彼は恐れを感じた事でしょう。ペリクスは、神学的議論を期待していたのですが、道徳的生活がテーマになりました。ペリクスには、罪の自覚が十分にあり、パウロの話は力強かったので、彼は大いに恐れた。しかし、妻のドルシラが恐れたとは書かれていないので、ヘロデ家の血が流れているという想像が働きます。

それでも、ペリクスは、「今は帰ってよい。折を見て、また呼ぶことにする」と信仰の決断を先延ばしにしたのです。

ここで起こっているのは悲劇です。彼らは、世界最高峰の説教者を与えられ、邪悪なペリクスに救いの手が差し伸べられ、家系そのものが堕落していたドルシラにも救いの手が差し伸べられたのです。でも、彼らはそのチャンスを逃すことになったのです。会見したその部屋は、聖なる空間となりましたが、彼らが信仰を告白したという証拠はありません。

この後、ドルシラは、ベスビオ山の噴火で、ペリクスとの間に生まれた子と一緒に死ぬことになります。これは、まるで火の池での裁きを象徴しているかのような最期でした。

決断を先延ばしにすればするほど、人の心は頑なになる傾向が強くあります。人間は、いつでも決心することができると安易に考えない方が良いのです(2コリント6:2)。

26節で、ペリクスは、何度もパウロを呼び出し、話し合った目的が記されています。それは、信じるためではなく、賄賂をもらうためだったのです。もちろん、総督が囚人から賄賂をもらうのは、違法ですが、このようなことはよく行われていたようです。

ペリクスは、パウロは、異邦人信者からの献金をエルサレムに持って来たので、彼には、資金を集める力があるだろうから、彼が声をかければ、友人たちが資金を集めるに違いないと考えていたのでしょう。

27節で、「二年が過ぎ」とあるので、パウロのカイザリヤでの幽閉は、2年に及んだことがわかります。2年経った時、ローマ本国は、ユダヤ総督ペリクスを罷免しました。これは、カイザリヤでユダヤ人と異邦人(主にギリシア人)の紛争が起こり、ペリクスは、多くのユダヤ人たちを虐殺したので、カイザリヤのユダヤ人指導者たちは、直訴のためにローマに上った事によって下されたものでした。

そして、ポルキオ・フェストが後任に任命されたのです。

ペリクスが、パウロを幽閉したままにしておいたのは、ユダヤ人に恩を売ろうとしたのです。その理由は、彼は、ユダヤ人からの支持を必要としていたからでした。


◆カイザリヤにパウロが幽閉されていた2年の意味について考えてみましょう。

クロノスは、「人間の主観的時」であり、とカイロスは、「神の時」と言う違いがあります。

パウロにとってのカイロスは、パウロがローマでデビューするための準備期間になりました。

ルカにとってのカイロスは、「パウロのそばで彼の証言を聞き、初期の教会に関する情報を集めたこと」、「パウロを訪ねて来る信者たちから、種々の証言を聞いたこと」など、ルカの福音書と使徒の働きを書くための資料集めをする時だったのです。

ルカの福音書と使徒の働きの前半は、この期間に書かれた可能性が大きいのです(ルカ1:1~3)。


◆パウロの3ポイントメッセージと主イエスの教えについて(ヨハネ16:8~11)
①イエスが去っていかなければ、助け主(聖霊)が弟子たちのところに来ない。
②もし去って行くなら、イエスは助け主(聖霊)を弟子たちのところに遣わす。
③悲しみは、神の視点から見ると、大きな祝福が来る前の準備なのです。

◆助け主(聖霊)の働きは、「聖霊は、罪(不信仰)を示すこと」、「聖霊は、義を示すこと」、「聖霊は、最後の裁きを示すこと」です。

パウロは、ペリクスに対し、彼が自覚している「罪」や、節制の大切さについて論じました。

創造主である神【主】の義とは、メシアであるイエスは、神の義を達成して父なる神のもとに昇られました。私たち人間は、このイエスを信じることによってのみ、義と認められるのです。パウロは、正義について論じました。

最後の裁きについて、この世を支配する者(サタン)はすでに裁かれていて、サタンに従う者はすべて最終的に裁かれること、パウロは、やがて来る審判について論じたのです。

◆パウロの話の内容は、聖霊の働きに沿ったものでした。
聖霊の導きにより、真理を示すことであり、また、メシアであるイエスの栄光を表わすことなのです。

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