永遠の幸福マインドで今ココを生きる diary

わかりやすい聖書ガイドヨハネの黙示録発売中。肉体的せかいのおわりを乗りこえる方法 幸福を科学ではなく実感するチャレンジ イエスをメシアと信じることから始まる平安体験の探求と気づきメモ by Davi Blackstone

貧しさに向き合うマインド 箴言17:5

『17:5 貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる。人の災難を喜ぶ者は罰を免れない。 箴言17:5新改訳2017』

人間は、お互いに、レッテルを貼ったり、自分勝手にランキングをつけたりしています。

ほとんど無意識に近いのかも知れませんが、自分が優位になる立ち位置をキープしたいと執着する事もあります。

創造主である神【主】の視点で考えてみる事は、人間には非常に難しいことです。

人間は、一人一人、オリジナルに造られた存在です。それぞれに、賜物や必要、そして、祝福は備えられているはずです。また、試練・困難というオブラートで包まれた祝福もあります。

一人の人間として、これを認識するものの、どこか、他人をうらやむ気持ちを持っています。

それが、なおさら、自分自身に備えられた祝福を見る、心の視力を奪われる要素だと気づかないまま、そのワナにハマってしまいます。

本当に、優秀な人は、自慢をしない傾向を感じます。

また、自分の賜物(タレント)を磨くための努力を惜しみません。

さらに、他人との比較で、自分を貶めることもないと思うのです。

しかし、何としても自分は立派で正しいと思い込みたい人は違います。

人間は、自分よりも下に、他人を置きたいのです。

どうしても、自分が上に立ちたいのです。

他人に災いが及ぶように、画策する事もあるでしょう。

それは、ほとんどの場合思い込みに過ぎないのですが、そのためには、凄くエネルギーをつぎ込む傾向があります。

冒頭の箴言は、「貧しい者を嘲る者は自分の造り主をそしる」と言います。

その人を嘲るのではなく、その人を造られた創造主である神【主】を嘲ることになると言うのです。

さらに、「人の災難を喜ぶ者は罰を免れない」とも、記されています。

自分が上になりたいと思うばっかりに、誰かに災いを向かわせる事には、この警告が適用されるのです。

さらに、その災いを喜ぶ事も、対象になります。

自分の立ち位置を確認し、相手とのスタンスを見直すように、この箴言は奨めています。

自分は、良き隣人として、本当に必要な援助を求めている人に対して、まずは、温かい手を差し伸べられるように、自分自身のマインドを整えたいと考えています。

聖書は、投げ与えるような非礼は教えていません。真心から、愛を込めてが原則なのですね。